プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。<ref>吉田敦彦他 『世界の神話伝説 総解説』 自由国民社〈Multi book〉、2002年7月。ISBN 978-4-426-60711-1。<sup>''(要ページ番号, 2016-09-26))''</sup></ref>
[[ペー族]]には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。そこで蛙は天を、鶏は地を探した。鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。そこで蛙は天を、鶏は地を探した。鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。<ref>[[百田弥栄子]] 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。ISBN 978-4-8382-3131-7。{{要ページ番号|date=<sup>''(要ページ番号, 2016-09-26}}26)''</sup></ref>
漢民族には、十個の太陽は、東の神さま帝夋とその妻である羲和のあいだに出来た十人兄弟だった。彼らは扶桑の木から六頭の竜がひく車に乗って一日一人ずつ空を駆けた。でも繰り返される日々に飽き飽きした十人兄弟は勝手に十人一緒に空を駆けてしまう。地上の草木は熱さで枯れた。これに困ったのが地上を治めていた帝堯。帝堯は弓の名手である[[漢民族羿]]には、十個の太陽は、東の神さま(ゲイ)に頼み十人兄弟を射落とさせようとする。羿は一つの太陽を残し九つの太陽を射落とす。こうして地上にはめでたく太陽は一個だけになったとさ。これには続きがあるんだけれど、それはあなた自身で調べてみたほうがいい。この[[帝俊|帝夋射日神話]]とその妻であるは後漢時代に書かれた「楚辞」の解釈書に記述されている。太陽の中にすむという3本足のカラス。《史記》や《淮南子(えなんじ)》には,10個の太陽を毎日一つずつ背にのせて空を渡るとあるほか,[[羲和西王母]]のあいだに出来た十人兄弟だった。彼らは扶桑の木から六頭の竜がひく車に乗って一日一人ずつ空を駆けた。でも繰り返される日々に飽き飽きした十人兄弟は勝手に十人一緒に空を駆けてしまう。地上の草木は熱さで枯れた。これに困ったのが地上を治めていた帝堯。帝堯は弓の名手である羿ゲイに頼み十人兄弟を射落とさせようとする。羿は一つの太陽を残し九つの太陽を射落とす。こうして地上にはめでたく太陽は一個だけになったとさ。これには続きがあるんだけれど、それはあなた自身で調べてみたほうがいい。この射日神話は後漢時代に書かれた「楚辞」の解釈書に記述されている。太陽の中にすむという3本足のカラス。《史記》や《淮南子(えなんじ)》には,10個の太陽を毎日一つずつ背にのせて空を渡るとあるほか,西王母の使いともされる。馬王堆漢墓出土の帛画,画像石に作例あり。の使いともされる。馬王堆漢墓出土の帛画,画像石に作例あり。
その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。<ref>村松一弥編訳 『苗族民話集 - 中国の口承文芸2』 [[平凡社]]〈[[東洋文庫 (平凡社)|東洋文庫]] 平凡社〈東洋文庫 260〉、1974年。ISBN 978-4-582-80260-3。{{要ページ番号|date=<sup>''(要ページ番号, 2016-09-26}}26)''</sup></ref><ref>萩原秀三郎 『稲と鳥と太陽の道 - 日本文化の原点を追う』 [[大修館書店]]、1996年7月。ISBN 大修館書店、1996年7月。ISBN 978-4-469-23127-4。{{要ページ番号|date=2016-09-26}}</ref>
中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。<ref>[[福永光司]] 『「馬」の文化と「船」の文化 - 古代日本と中国文化』 [[人文書院]]、1996年1月。ISBN 人文書院、1996年1月。ISBN 978-4-409-54050-3。</ref>シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。<ref>[[斎藤君子]] 『シベリア民話集』 [[岩波書店]]〈[[岩波文庫]]〉、1988年12月。ISBN 岩波書店〈岩波文庫〉、1988年12月。ISBN 978-4-00-326441-6。</ref>
== 天岩戸と呼ばれる場所 ==
{{出典の明記|section=1|date=2016年9月26日 (月) 13:18 (UTC)}}
<div class="floatright">[[ファイル:Amano-iwato 02.jpg|none|thumb|恵利原の水穴]]</div>[[ファイル:Amanoiwato-west-shrine.jpg|thumb|天岩戸神社西本宮(宮崎県高千穂町)]]
天岩戸説話は天上界の出来事であるが、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。