玉器については前後二段の時期に分け、前段を龍山文化後期併行期、後段を朱開溝文化二段併行期とみなしている。石峁遺跡からは数多くの玉璋の出土が知られており、玉柄形器の存在とともに二里頭文化との関連性を強く示唆する遺物で
ある。ある。ヒスイも発見されており、破片だけでなく、円盤や刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものも見つかっている。ヒスイはここ陝西省最北部では産出せず、最も近い産地でさえ、およそ1600キロも離れている。
城壁は、基本的には山地の斜面に沿って築かれている。地形に即して集落を囲う壁の存在は新石器時代後期の岱海地域でおこった老虎山文化で知られており、土器の類似性の面からも、石峁遺跡の「城壁」は、内モンゴル地域との関連の中で説明されるべき遺構であろう、とされている。
== 参考文献 ==
* 陝西省楡林市神木県石峁遺跡の発見と若干の問題、角道亮介、駒澤大学文学部研究紀要第 74 号(2016)(最終閲覧日:22-09-11)
* 陝西省の石峁遺跡で精巧な石刻70点余りを発見、編集[http://jp.xinhuanet.com/2020-01/14/c_138703597.htm 陝西省の石峁遺跡で精巧な石刻70点余りを発見]、編集: 李佼俐、新華網日本語版、新華社、2020-01-14 13:42:08(最終閲覧日:22-09-11) * [https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/ 4千年前の中国・石峁遺跡、謎のヒスイと要塞]、ナショナルジオグラフィック日本語版、2020-08-23(最終閲覧日:22-09-11)
== 関連項目 ==