日本神話の[[大宜都比売]]や[[保食神]](ウケモチ)・ワクムスビにもハイヌウェレ型の説話が見られる<ref name=yoshida151-152>『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、pp. 151–152)</ref><ref>大林, 19791, pp141–142</ref>。しかし、日本神話においては、発生したのは宝物や芋類ではなく五穀である。よって、日本神話に挿入されたのは、中国南方部から日本に伝わった話ではないかと仮説されている<ref>大林, 19791, p142</ref>;<ref>大林 太良 , 大林太良<!--Obayashi, Taryo--> , 稲作の神話 , 弘文堂 , date:1973 , pages23–137を引用。</ref>。
=== 私的考察 ===
管理人個人の私見では「生贄の人間」は原則的な意味では「'''共同体の外の人間'''」である。共同体の中から選ばれる場合には「罪ある者」とされたり、単に「白羽の矢が立つ」といった、特別に該当者を「共同体の外の人間」と扱う目安というか基準のようなものが必要と思われる。また、后稷の例のように「死体から穀物・芋類が発生する」のであれば、本来、特に生贄に性別の定めはなかった、と考えられるのではないだろうか。
日本については、縄文時代にサトイモが渡来しているので、サトイモの流入と共にハイヌウェレ型神話が入り込んで来ており、縄文系の母系社会に適した形でまず定着したと思われる。その後弥生の人々と稲作文化(強力な水稲耕作文化)が流入して、日本神話の[[大宜都比売]]や[[保食神]]の神話に纏められたのだと考える。
== 参考文献 ==