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49 バイト追加 、 2022年7月3日 (日) 23:45
=== 止屋の淵 ===
『日本書紀』巻第五によると、崇神天皇は群臣に詔して「武日照命(たけひなてるのみこと)、別名武夷鳥(たけひなとり)、あるいは天夷鳥(あめのひなどり)が天から持って来られたという神宝が出雲大神(熊野神または杵築神)の宮に収蔵してあるのだが、これを見たい」とおっしゃられた。そこで、使者として、矢田部造の遠い祖先である武諸隅(たけもろすみ)、別の書には大母隅(おおもろすみ)と伝わっている武将を遣わして献上させた。このとき、神宝を管理していたのは出雲臣の遠い祖先である出雲振根(いずものふるね、別の書には大母隅(おおもろすみ)と伝わっている武将を遣わして献上させた。このとき、神宝を管理していたのは出雲臣<ref>出雲国造家のこと。</ref>の遠い祖先である'''出雲振根'''(いずものふるね)であったが、筑紫国へいっていて留守だったので、弟の飯入根]であったが、筑紫国へいっていて留守だったので、弟の'''飯入根'''(いいいりね)が(独断で)皇命をうけて弟の甘美韓日狭(うましからひさ)と息子の鸕濡渟(うかずくぬ)につけて、神宝を貢上してしまった。
筑紫から帰ってきた振根はこのことを聞いて、弟を責めた。

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