赤雁の背に乗って出かけた狭姫だったが、とある山に空いた大穴からいびきが聞こえてくる。「そこにいるのは誰か?」と問うと、「自ら名乗らず他人の名を訊くとは何事だ」と返ってきた。声の主はオカミ(淤加美神])といって大山祇の子だった。恐ろしくてならない狭姫だったが、勇気を振り絞って、では直接お会いしたいと強い調子で申し出ると、オカミは「我は頭が人で体が蛇だから神も人も驚いて気を失うだろう。驚かすのよくないことだ。それより我が兄の足長土に会い給え」と言って急に調子を改めてしまう。
狭姫は考えた。オカミは雨]を降らす良い神だが、大山祇巨人と足長土狭姫は考えた。オカミは雨を降らす良い神だが、大山祇巨人と足長土<ref>足長土は「あしなづち」、また手長土は「てなづち」とも読み、八岐大蛇神話に登場する足名椎命と手名椎命に掛けている。手長足長が元。</ref>はどこかに追いやらなければらない。
赤雁に乗って国中駆け回った狭姫は三瓶山]麓を切り開いて巨人たちを遊ばせることを思いつく。
== 内容 ==
乙子=末子、狭姫=小さな姫という意味合いでちび姫の愛称がある。益田市乙子町にある[[佐毘売山神社]]ゆかりの伝説である。サヒメの名の初出は[[出雲国風土記]]の国引き神話で、[[三瓶山]]の旧名が佐比売山である。乙子=末子、狭姫=小さな姫という意味合いでちび姫の愛称がある。益田市乙子町にある佐毘売山神社ゆかりの伝説である。サヒメの名の初出は出雲国風土記の国引き神話で、三瓶山の旧名が佐比売山である。
オオゲツヒメの死体から五穀の種が生えてきたという点で[[ハイヌウェレ型神話]]に分類される。[[新羅]]の[[ソシモリ]]という地名も言及され、記紀神話の影響が見受けられる。オオゲツヒメの死体から五穀の種が生えてきたという点でハイヌウェレ型神話に分類される。新羅のソシモリという地名も言及され、記紀神話の影響が見受けられる。
石西地方(石見の西部)から出て、石央(同中部)、石東(同東部)と進み、三瓶山に到達。島根県石見地方を西から東へ開拓していく話である。特に島根県益田市、浜田市三隅町の地名が取り込まれた[[地名説話]]でもある。また、狭姫を拒んだ高島で穀物が獲れない理由を説明する[[民話#民話の分類|由来譚]]でもある。石西地方(石見の西部)から出て、石央(同中部)、石東(同東部)と進み、三瓶山に到達。島根県石見地方を西から東へ開拓していく話である。特に島根県益田市、浜田市三隅町の地名が取り込まれた地名説話でもある。また、狭姫を拒んだ高島で穀物が獲れない理由を説明する由来譚でもある。
狭姫伝説は狭姫が益田に来る前段と益田を出て三瓶に至る後段とに分けられる。前段が穀物起源譚であり悲しい調子であるのに対して後段は巨人譚であり明るい調子となっている。その点で、暗い話と明るい話が混然一体となっている。<ref>このため前段しか収録しない民話集も複数ある。</ref>
== ゆかりの地 ==
* [[佐毘売山神社]](益田市)佐毘売山神社(益田市)
* 天道山城山・赤雁土居跡(益田市赤雁町)<ref>狭姫が降臨したとされる丘。史実では赤雁益田氏の砦だった。</ref>
* [[高島 (島根県)]]* [[三瓶山]](島根県大田市)三瓶山(島根県大田市)<ref>狭姫伝説では三瓶山の噴火は巨人の放屁であるとされている。</ref> == 唱歌 ==『ハロー! この町』(下記「関連する作品」参照)という学童唱歌で狭姫伝説が取り上げられている。島根県大田市三瓶山麓を舞台にしており、狭姫の他、足長土、手長土が登場する。
== 関連書籍 ==
* [[野村純一]]ほか編著 『日本伝説大系 第十一巻 [[山陰]]([[鳥取県|鳥取]]・島根)』 [[みずうみ書房]]、1984年、17-25頁。
* 『益田市誌 上巻』 1975年、356-361頁。
* 『さくらさひめの大しごと』 [[古田足日]]/文、[[福田岩緒]]/絵、[[童心社]]、2001年。
* [[堀江宗仁]]・[[田原三千男]]編著 『正史「狭姫伝説」 天地悠久のロマン 益田の神話』 [[乙子観光協会]]、2014年。
== 出典・補注 ==
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== 関連項目 ==