鬼神信仰の中でも、自らを「鬼神」になぞらえて、鬼神のように生きて富貴を得たい、という考え方があるように思う。例えば夏の孔甲のような存在である。「生きた鬼神」というものが現代的な「'''洗脳と詐欺'''」を行う「怨霊的生き霊」だとすると、それに倣ってそのように生きたいと思う者も後を絶たずに世の中に登場することだろう。こうして、「怨霊的生き霊」の神は、祖神としての地位から離れ、一部では「憧れの存在」ともいえるような'''凡神'''に変化したと思われる。彼を信奉し、そのおこぼれに預かろうとする者達にとっては、善神であり憧れの神だが、そうではない人々にとっては迷惑の極みで'''窃盗神'''としかみなせないと考える。この神は、鬼神の一種であり、強力な2面性を持つ神として、表されていくように思う。
特に飛騨地方や長野牛蒡種の力は[[嫉妬|妬み]]や羨望の念がもとになるといわれており、この家の者に憎まれて睨まれた者は[[頭痛]]や[[精神疾患]]を患うといいを患うという<ref name="民間信仰" />県で考えられるような牛蒡種、両面宿禰、魏石八面大王といった神々が、相当するように考える。。牛蒡種、両面宿禰、魏石八面大王といった神々が、太昊型神に相当するように考える。
=== 鬼神信仰と子育て ===