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== 生き霊である ==
「生まれ変わることができる」とみなされていたのであれば、「生まれ変わっている間」は「生きている人間だった」とするしかなく、それでも恨みの気持ちを持っていて、前世の復讐を行い、そこに霊的な作用があるのであれば、これは死霊の一種である「怨霊」とすべきではなく、「'''生き霊'''」とするしかないと考える。フィクションからの引用ではあるが、源氏物語の「六条御息所」が嫉妬のあまり生き霊となって恋人の妻である「葵の上」を殺してしまう、という例がある。生きている人間が、そのままの姿で殺したい相手を殺してしまえば、現代であれば「殺人罪」として罪に問われることになるが、「霊」となって証拠も残さず、霊的な目に見えない作用だけで相手を殺してしまったとしたら、それは裁くことができない、といえる。ともかく、この'''太昊型神'''は「強い恨み」を持って転生するが故に、生きていても怨霊のような霊的作用をもたらす場合がある、と考えられていたし、それ故に恐れられたり、敬われたりしたのではないか、と考える。しかも「生きている人」なので、どこまでが彼の「霊的作用」であって、どこからが「人として彼が実行していること」なのかが、わかりにくいといえる。
例えば、彼が誰かを「貧乏になってしまえばいい」と思って、呪ったとする。'''霊的'''には、相手に取り憑いて散財したくなるよう精神を操作する、とか、相手が誰かを害して多額の損害賠償を支払わなければならなくなるような精神状態にしてしまう、とかそういうことを行うかもしれない。
 
その一方で人として、相手の家に盗みに入って、相手の財産を盗んでしまう、とか何か詐欺的な計略を用いて相手に金を支払わせてしまう、ということも行ったとする。そうしたら、こちらは霊的な作用ではなく、生きている人としての犯罪である。
 
この2つを組み合わせて、相手ができる限り自分を信用させるような精神状態になるよう霊的に呪いをかけ、詐欺で相手の金をむしり取ってしまっても、相手の方はそのことにすら気づかずに喜んでお金を支払う、となるよう人間として実行する、とする。これはいわゆる現代的には「'''洗脳と詐欺'''」という言葉がぴったりだと思うのだが、洗脳されている者は霊的弱者であって、強者に支配されているから、その強者が「怨霊的生き霊」だと逃げ出すこともできず支配され続けるだけ、ということになる。だからこの'''太昊型神'''は「恐ろしい神」とされるし、現代社会で生きた'''太昊型神'''の類例というのは各地で後を絶たずに日々生まれ、存在し続けるのではないだろうか。
== 歴史的背景 ==

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