== 風習 ==
かつてのかつて[[首狩り]](出草)の習慣、[[霧社事件]]などによって勇猛な民族として知られる。赤と白を基調とした民族衣装を身にまとっていたが、現在では祭礼の時や観光地などで観光客向けに着られる程度である。また男性は額と顎、女性は額と両頬に刺青を施していたが、日本統治時代に禁止され、根絶された。首狩り(出草)の習慣、霧社事件などによって勇猛な民族として知られる。'''赤と白'''を基調とした民族衣装を身にまとっていたが、現在では祭礼の時や観光地などで観光客向けに着られる程度である。また男性は額と顎、女性は額と両頬に刺青を施していたが、日本統治時代に禁止され、根絶された。
=== 首狩り ===
伝承によれば、首狩りは葬儀や農業と関係し、首祭りを伴う点においては宗教的であり、主に社会的な意味で行なわれた。男子にとって重要な[[通過儀礼]]であり、敵の首を狩った者のみが刺青を入れることを許される。刺青が無いと社会的に無視され、結婚すらできない。さらに狩った首の数が多ければ、特別な衣服や装飾をつける権利を得る。したがって要人は少なくとも十数の首を狩ったものであり、霧社蕃ホーゴー社のある頭目は50以上を狩ったという。村内で揉め事が発生した場合は、頭目はこれを裁き、調停する権利はない。最後は首狩により、オットフ(神霊)のおつげを仰ぐ。伝説によれば、祖先の時代に人口増加に伴い、村を分けることになった。その際、平地組は山地組をだまして多人数を得たので、山地組は復讐として首狩りをするのだという。村内の揉め事を解決するために無関係の集落を襲って首を狩る行為は、こうして正当化される。伝承によれば、首狩りは'''葬儀や農業と関係し'''、首祭りを伴う点においては宗教的であり、主に社会的な意味で行なわれた。男子にとって重要な通過儀礼であり、敵の首を狩った者のみが刺青を入れることを許される。刺青が無いと社会的に無視され、結婚すらできない。さらに狩った首の数が多ければ、特別な衣服や装飾をつける権利を得る。したがって要人は少なくとも十数の首を狩ったものであり、霧社蕃ホーゴー社のある頭目は50以上を狩ったという。村内で揉め事が発生した場合は、頭目はこれを裁き、調停する権利はない。最後は首狩により、オットフ(神霊)のおつげを仰ぐ。伝説によれば、祖先の時代に人口増加に伴い、村を分けることになった。その際、'''平地組は山地組をだまして多人数を得た'''ので、山地組は復讐として首狩りをするのだという。村内の揉め事を解決するために無関係の集落を襲って首を狩る行為は、こうして正当化される。
出草は普通10人くらい、時に個人でも4、50人でも行なわれる、頭目または有力者を首領とし、まず、首狩りの祈願を行なう。出発、進退の際は夢や鳥の鳴き声で吉凶を判断する。根拠地に着くと、再び成功を祈り、結束を固め、祓を行なう。多人数の場合はそれぞれの分担を決め、狙撃、突貫などで敵を倒す。首を落とす際は急進し、蕃刀で切断するが、刺青のない少年が報酬を出し、権利を譲られることもある。戦利品は首を狩った者のものとし、事が終われば直ちに逃げ出し、渓流で首を洗い、額に蔓を通して運びやすくする。
出草中は種々のタブーが課される、すなわち、縁談、狩猟、農耕、炉火の受け渡しは禁じられる。紛争の解決のための首狩では、対立する両人または両派は相互交通を禁じられる。
首狩の一団が村に帰還すると、村人全員で歓呼して凱旋を迎え、首はそれを狩った者の家の棚の上に置く。そしてライポー(酒の一種)を口に含ませ、供物を供え、次のような祭辞を呈する。「汝は此処に安住せよ。汝に酒を与える。汝の父母、妻子、兄弟、姉妹に此処の蕃人は甚だ良いと語れ。多勢呼んで此処に住め。」こうして夜通し歌い踊り、翌朝に首を頭目の家に移し、酒肉を供しまた宴を開く。その後で首を頭架の中央に据え、さらに数日間、宴会を続ける。首の肉が腐り果てるまで、絶えず口のあたりに供物を擦り込む。少年はそのお下がりを食べ、度胸や忍耐を養うという。首狩の一団が村に帰還すると、村人全員で歓呼して凱旋を迎え、首はそれを狩った者の家の棚の上に置く。そしてライポー(酒の一種)を口に含ませ、供物を供え、次のような祭辞を呈する。「汝は此処に安住せよ。汝に酒を与える。汝の父母、妻子、兄弟、姉妹に此処の蕃人は甚だ良いと語れ。多勢呼んで此処に住め。」こうして夜通し歌い踊り、翌朝に首を頭目の家に移し、酒肉を供しまた宴を開く。その後で首を頭架の中央に据え、さらに数日間、宴会を続ける。'''首の肉が腐り果てるまで、絶えず口のあたりに供物を擦り込む。'''少年はそのお下がりを食べ、度胸や忍耐を養うという。
首狩に失敗した時は、夜の闇にまぎれて密かに帰る。不吉を祓い、次の満月を経ねば再び首狩には出ない。失敗の原因は、留守中の村内でタブーを犯した者がいたからとされ、これに該当するとされた者は賠償する。
== 建築 ==
従来、山岳地域に住居しているタイヤル人は大抵山の中腹における農耕に容易な台地に家を建てるが、タロコの狭い地形によって、[[部落]]はまばらに分散している。また海抜や自然環境の相違のため、建築材料もそれぞれ違うが、木造や竹造の家が一番多い。人間の住居のほか、穀物の納屋や家畜の小屋などもある。タイヤル人は核家族の構成が中心なので、建物は大きくない。従来、山岳地域に住居しているタイヤル人は大抵山の中腹における農耕に容易な台地に家を建てるが、タロコの狭い地形によって、部落はまばらに分散している。また海抜や自然環境の相違のため、建築材料もそれぞれ違うが、木造や竹造の家が一番多い。人間の住居のほか、穀物の納屋や家畜の小屋などもある。タイヤル人は核家族の構成が中心なので、建物は大きくない。
== 産業 ==
[[Image:Atayaldesignbuilding.JPG|thumb|200px|[[宜蘭県]]の村のコミュニティセンター。タイヤル族の伝統的な建築様式に基づく建物は台湾東部各地で見られる]]伝統的には[[焼畑農業]]と[[狩猟]]によって自給自足的に生計を立てていたが、[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]以降、近代的な農業生産方式の普及が進んだ。ただ、タイヤル族の居住地域はほとんどが急峻な山岳地域であり、水稲栽培など平地向けの農業は不向きである。そのため現在では果実、茶、[[ビンロウ]]など商品作物の栽培が広く普及している。伝統的には焼畑農業と狩猟によって自給自足的に生計を立てていたが、日本統治時代以降、近代的な農業生産方式の普及が進んだ。ただ、タイヤル族の居住地域はほとんどが急峻な山岳地域であり、水稲栽培など平地向けの農業は不向きである。そのため現在では果実、茶、ビンロウなど商品作物の栽培が広く普及している。
また、都市部の住民や外国人を対象とした観光業も一部の地域では重要な産業となっている。
== 著名人 ==
近年は歌手などの芸能人を多く輩出している。
* [[林瑞昌]] - 台湾日本統治時代の医師、政治家
* [[高金素梅]] - 歌手、女優、政治家
* [[ビビアン・スー]] - 歌手、女優
* [[夏宇童]] - 歌手、女優
* {{仮リンク|温嵐|zh|温嵐}} - 歌手、女優
* {{仮リンク|黄建福|zh|不浪·尤幹}} - 歌手
* [[Hi-yunk]](KENJI03) - 歌手、ロックバンド「[[BACK-ON]]」のギターボーカル
* {{仮リンク|呉亦帆|zh|吳亦帆}} - 歌手
* {{仮リンク|林慶台|zh|林慶台}} - 牧師
* {{仮リンク|羅美玲|zh|羅美玲 (歌手)}} - 歌手、女優
* [[古林睿煬]] - [[プロ野球選手]]([[投手]])
== 脚注 ==