ということで、人々に食料を供給し、神々にも食料を供給し、人と神々を結び、神の怒りを人に与え、あるいは守護し、あらゆるトーテムを食べ尽くしてしまった豚神はやがて「'''[[饕餮]]'''」あるいは「饕餮紋」というものになって殷周の祭器(鼎)に描かれるようになると考える。でも凌家灘文化の時代には単なる「豚」という単純な姿だったようである。
豚神は'''[[太昊]]'''であり、'''[[饕餮]]'''ともなったと考える。日本では、単純にともなったと考える。そして祖神でもある。王や神人は天の父神の意向を知るために、息子神である豚神と対話し、祈り、占いをせねばならないのだ。そして人々はこの「息子神」の子孫でもある。 日本では、この豚神を単純に'''須佐之男'''と呼ぶ。弥生時代の日本では豚の下顎骨を棒にかけておいておくという習慣があった。これは豊穣神・境界神の一種であった須佐之男の原型と考える。その起源は凌家灘文化にあったと考える。
== 文化の連続性 ==