ということで、伊勢の斎宮として下向する秋好中宮に付き添って支える六条御息所を、[[天照大御神]](事実上の[[天道日女命]])に付き添って支える[[豊受大神]]になぞらえているのだとすれば、明石の上は、さしずめ、「母親であることを隠して娘に仕える[[豊受大神]]」ということなのだと思う。
もしかしたら、紫式部は物語のネタを得るために色々な文献を調べているうちに、「太陽女神」と思われる女性の伝承をいくつか見つけて、それらをまるで「太陽女神のカタログ」のようにして集めた物語を作ろうと思い立ち、そうして書き上げたのが「源氏物語」なのかもしれないと思う。だから、義理の息子と関係して子供をもうける「母子姦神話」の藤壺中宮、心優しい養母である紫の上、生涯を独身で過ごす朝顔の斎院、男と関係して急死し織物(砧)に関係する馬頭娘的な夕顔、朱雀院・源氏の両方と堂々と関係を持って「二人の夫を持つ」もしかしたら、紫式部は物語のネタを得るために色々な文献を調べているうちに、「太陽女神」と思われる女性の伝承をいくつか見つけて、それらをまるで「太陽女神のカタログ」のようにして集めた物語を作ろうと思い立ち、そうして書き上げたのが「源氏物語」なのかもしれないと思う。だから、義理の息子と関係して子供をもうける「母子姦神話」の藤壺中宮、心優しい養母である紫の上、生涯を独身で過ごす朝顔の斎院、男と関係して急死し織物(砧)に関係する馬頭娘的な夕顔、朱雀帝・源氏の両方と堂々と関係を持って「二人の夫を持つ」'''朧月夜'''等々。様々なタイプの太陽女神が物語に登場する。
紫式部よりやや後の世代の女性で「更級日記」の作者である菅原孝標女は少女時代に「源氏物語」に夢中になり、それなりに教養のあった中流貴族の女性だったと思われるが、[[天照大御神]]については他人から「[[天照大御神]]にお祈りするといいですよ。」と勧められるまで、この女神のことを知らなかったという。紫式部の知識の豊富さと比べれば雲泥の感があるのは否めない。これはおそらく彼女たちの家庭環境にも関係があるのだと考える。菅原氏は[[野見宿禰]]の末裔と言われており、[[野見宿禰]]とは賀茂系氏族に関連の深い祖神の一人と考える。とすれば、菅原孝標女は賀茂系氏族の娘で、元々賀茂系氏族の女神ではない[[天照大御神]]のことを身近な人から聞く機会がほどんとなく、家庭内でこの女神のことを知る機会がなかったのだと推察する。