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<blockquote>『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。それによると誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったが、皇后の夢に多具の国の神・[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]が現れて、「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある。多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、また[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる[[天甕津日女命|天甕津日女]](もしくは楯縫郡神名樋山の項の[[天甕津日女命|天御梶日女]])と同神とされる。[[天甕津日女命|天御梶日女]]は葦原色許男大神の子である[[阿遅鉏高日子根神]]の妻とされ、[[阿遅鉏高日子根神]]は『出雲国風土記』において、誉津別皇子と同じく大人になっても子供のように泣き止まなかったとする伝承が掲載されている。</blockquote>
[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は日本の「[[神農]](シャンリャン)といえると考える。彼女の夫は(シャンリャン)」といえると考える。彼女の夫は[[阿遅鉏高日子根神]]で犬神でもある。これは賀茂氏の祖神でもある。[[河姆渡文化]]で彼らのトーテムは犬から豚(猪)に変えられてしまい、それはミャオ族の中では更に水牛に、西欧では牛に、と変えられてしまったのに、賀茂系の氏族は「犬祖」であることを覚えていて守ってきたようである。そもそも「鴨」という氏族名は、「少昊が官名を鳥の名で呼んだ」という逸話にちなみ、良渚文化に起源を求められる氏族なのではないかと考える。彼女の起源は中国の[[女媧]]と同じかもしれない。でも[[女媧]]には失われてしまった性質、自ら「取り替え子」を罰し、その人生を左右できる、という性質を[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は失わずに持っていたように思う。彼女は尾張国に祀られているので、尾張氏の太陽女神でもある、と言えるかもしれない。台湾の[[女媧]]であるモアカイ女神には「犬の尾がある女神」とされていた形跡があり、愛知県には犬の女神を祀る神社がある。[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]が「女媧」であるなら、[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]にも[[女媧]]にも「犬の'''尾'''」が生えていたと思われるし、そもそも「尾張」の「尾」は「'''犬の尾'''」のことなのではないかと思う。'''賀茂系の氏族はあちこちに「尾」という言葉を残して、自らが「犬祖」であることを忘れないでいるのではないだろうか'''。でも母神である[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は、親殺しの[[伏羲]](すなわち[[阿遅鉏高日子根神]])ではなく、'''月に昇った父神'''を豚ではなく「'''犬祖'''」として覚えていて欲しい、と願うと思う。それは河姆渡文化の時代に、すでに豚に書き換えられてしまっていたのだけれども。」として覚えていて欲しい、と願うと思う。それは河姆渡文化の時代に、すでに豚に書き換えられてしまっていたのだけれども。だいたい[[伏羲]]([[阿遅鉏高日子根神]])に類する神は自ら「自分は'''豚の子'''」と宣言しているのだから、それを祖神を慕う人々が「犬祖」を名乗るのは筋が違うのではないだろうか。「豚祖」というのが相当であろう。
== 愛欲と生まれ変わりの関係 ==

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