結論から述べれば、蚩尤の直接的な起源は[[大渓文化]]あたりに遡ると考える。[[大渓文化]]の石器(あるいは玉器?)に刻まれた人面像は、蚩尤そのものであって、この時点で彼が道具、特に'''武器に何か呪術的な性質を与える神'''と考えられていたと思われる。首だけの像で現されるのは、彼が「'''首をはねられて死んだ'''」ことを意味しているのだと思う。死してなお、人々に影響を与え続ける「'''怨霊神'''」ともいえる。この神は、道具に関わる神として、大工の神や、鍛冶神などの職人の神へと変化していくように思うが、「'''兵主神'''」としての姿はその一形態と考える。
また、「兵主神」としての蚩尤には「軍を組織する」という性質も備わっていると考えるが、[[大渓文化]]の時代にそこまでの権限がある神とみなされていたかどうかは定かでないと考える。[[大渓文化]]が母系の文化であれば、'''軍事権は女神が持ち、武器管理権を「大渓の蚩尤(とその子孫)」'''が有していた可能性が高いと考える。武器の管理には、当然祭祀も含まれるので、が有していた可能性が高いと考える。武器の管理には、当然武器に関する祭祀も含まれるので、'''蚩尤の子孫とされる男性が、武器に関する祭祀を行っていた'''と想像される。
== 概要 ==