「さよひめ」説話は、朝鮮における孝女、沈清(シムチョン)にまつわる伝説との近似性が指摘されている。その残された伝承文学はパンソリや小説『沈清伝』、本解(본풀이、ポンプリ)(神の縁起談)として朗誦される「沈清クッ」などの形態をとる<ref>金賛會, 2004, p203</ref>。この本解は、'''眼病の巫神'''とみなされている沈の父娘の由来を語る歌であり、巫堂(ムーダン)が踊りを交えてこれを歌唱するクッの儀式として演じられる<ref>金賛會, 1992, pp25–26</ref>。
「さよひめ」説話(「松浦長者」等)と沈清伝の共通点としては、話筋を通じて次のような一致がみられる:まず沈清も父母の祈願の末に生まれた神仏の申し子であり{{sfnp|<ref>金賛會|, 1992|p=28}}, p28</ref><ref name=yano/>、亡き父の菩提のためではないが、生存する父の眼の平癒祈願の米の納付のため、竜王の人身御供となることを承知し、わが身を人身売買する{{sfnp|<ref>金賛會|, 1992|p=29}}, p29</ref><ref name=yano/>。結局、神仏の慈悲に拠り生贄とはならずに生還/転生して幸福を得る{{sfnp|<ref>金賛會|, 1992|pp=29–30}}, pp29–30</ref>。
また、石化伝説に関しては、「堤上(ジェサン)」説話、すなわち新羅の[[訥祇麻立干|訥祇王]]の忠臣[[朴堤上|朴堤上(パク・ジェサン)]](363–419年ごろ)の妻にまつわる伝説との比較も指摘される{{sfnp|金京欄|1998|pp=22, 31–}}。この朴堤上(堤上は役職名)とは、王の命で新羅から倭国へ派遣されて客死した別名「毛末(モマル)」であると『三国史記』(1145年)にあり、『日本書紀』神功皇后摂政5年3月の項に見える毛麻利叱智(モマリシチ)に比定できる{{sfnp|金京欄|1998|pp=26–30}}(すなわち日本の狭手彦とは逆に、朝鮮から日本に送られた人物である)。朴堤上は、のちの文献では「金堤上」とつくり、その妻が{{仮リンク|鵄述神母|ko|치술신모|label=鵄述(チスル)神母<!--シンモ-->}}として祀られたという伝承が記される(『三国遺事』、13世紀){{sfnp|金京欄|1998|pp=28–29}}。これら文献にはないが、民間伝承では妻が石化したと語られるようになった{{sfnp|金京欄|1998|p=30}}。