※ 史料は、特記のない限り『日本書紀』<ref name="iwanami">『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427</ref>に拠る。
=== 立太子 ===
ある日、父の活目天皇(垂仁天皇)は大足彦尊(後の景行天皇)とその兄の[[五十瓊敷入彦命|五十瓊敷命]]に欲しいものを言うよう尋ねた。兄の五十瓊敷命は弓矢を求めた。弟の大足彦尊はなんと皇位を求めた。その通りに兄は弓矢を与えられ、弟は太子に立てられた。ある日、父の活目天皇(垂仁天皇)は大足彦尊(後の景行天皇)とその兄の五十瓊敷命に欲しいものを言うよう尋ねた。兄の五十瓊敷命は弓矢を求めた。弟の大足彦尊はなんと皇位を求めた。その通りに兄は弓矢を与えられ、弟は太子に立てられた。
=== 踏石の誓約 ===
豊後国の[[土蜘蛛]]に苦戦していたときのことである。長さ六尺、幅三尺、厚さ一尺五寸の石を見かけたので、これで誓約([[うけい]])をすることにした。志我神、直入物部神、直入中臣神の三神に祈り「土蜘蛛を討ち果たせるのであれば、この石は柏の葉のように飛ぶだろう」と蹴とばした。果たして石は空高く舞い上がり、土蜘蛛を無事征伐することができた。この石を踏石という。豊後国の土蜘蛛に苦戦していたときのことである。長さ六尺、幅三尺、厚さ一尺五寸の石を見かけたので、これで誓約(うけい)をすることにした。志我神、直入物部神、直入中臣神の三神に祈り「土蜘蛛を討ち果たせるのであれば、この石は柏の葉のように飛ぶだろう」と蹴とばした。果たして石は空高く舞い上がり、土蜘蛛を無事征伐することができた。この石を踏石という。
=== 彦嶽宮<ref>{{Cite web |title=御由緒 |url=, https://hikotakegu.localinfo.jp/pages/1953566/page_201805261136 |website=, 彦嶽宮 |access-date=, 2024-08-08 |language=ja |publisher=彦嶽宮}}</ref> ===景行十八年四月([[88年]])に熊津彦討伐のため御軍を率いて九州に上陸され、[[景行十八年四月(88年)に熊津彦討伐のため御軍を率いて九州に上陸され、'''山鹿郡]]'''大宮の地にある高天山(現在の震嶽)に行宮を営まれた。天皇が行宮において窮地に陥った際、天神地祇に祈念すると俄かに高天山で地震が起こり、敵軍はたちまち敗走した。天皇は神恩を感謝し、高天山に八神殿を祀り(後千田の八島、下吉田宮にまつられていると云う)、彦岳に三宮を祀り、従者吉田某をこの地に止め、神事に当たらせた。これが彦嶽宮の由緒であるという。その後、[[阿蘇郡|阿蘇]]へ向かって天皇が出立された後で土地の人々は高天山のことを揺ヶ嶽、彦岳に三宮を祀り、従者吉田某をこの地に止め、神事に当たらせた。これが彦嶽宮の由緒であるという。その後、阿蘇へ向かって天皇が出立された後で土地の人々は高天山のことを揺ヶ嶽(ゆるぎがたけ)と呼ぶようになった<ref>{{Cite web |title=「彦嶽宮縁起」並びに伝説によれば |url=, https://hikotakegu.localinfo.jp/posts/7843417 |website=, 彦嶽宮 |date=, 2020-03-01 |access-date=, 2024-08-08 |language=ja |publisher=彦嶽宮}}</ref>。
=== 建部大神 ===