長野県の冠着山は俗称を「姨捨山」といい深沢七郎が『楢山節考』で姥捨て伝説を結び付けた。しかし、日本思想史学者の古田武彦は地元の放光院長楽寺への現地調査の結果などからこの地に姥捨て伝説はなかったと結論付けている<ref>[http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu5/unmeihi1.html 神と人麻呂の運命1] 古田武彦</ref>。
神道集「赤城対明神の事」には姨捨山の由来が書かれている。要約すると以下のようになる。神道集「[[赤城大明神]]の事」には姨捨山の由来が書かれている。要約すると以下のようになる。
: 群馬に父と一人の息子と3人の娘が住んでいた。そこに信濃国'''更級郡'''より二人の姉弟がやってきた。姉は弟をそそのかすし、弟は'''乱暴者'''だった。父と息子が留守の間に乱暴者は3人の娘のうち2人を殺した。末娘は何とか助かった。父が戻ってきたが、世をはかなんで亡くなった。兄が戻ってきて、乱暴者を倒した。意地悪な女は信濃国に逃げたが'''宇津尾山'''という山に捨てられた。以後、その山を'''伯母捨山'''と言うようになった。