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ページの作成:「thumb|300px|図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。 File:01_kouzan.jpg|thumb|300px|図2、紅山…」
[[File:C-shaped_jade_dragon.jpeg|thumb|300px|図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。]]
[[File:01_kouzan.jpg|thumb|300px|図2、紅山文化の太陽女神<ref>[https://read01.com/o2O5oz.htmlhttps://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克原文網址]、壹讀(最終閲覧日:25年12月20日)</ref>。]]
[[File:kouzansungod_1201.jpg|thumb|300px|図3、紅山文化の翡翠の太陽神<ref>https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%8E%89_%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%A5%9E%28A1%29_%E7%B4%85%E5%B1%B1%E6%96%87%E5%8C%96_%E7%8E%89%E8%80%8C%E5%AF%8C_1201.jpg</ref>。]]
[[File:太陽神_紅山琉璃_玉而富_1003.jpeg|thumb|300px|図4、太陽神の玉器]]
[[File:095816bb8vksr8q4wbrfw8.jpg|thumb|300px|図5、太陽神の玉器<ref> [分析] [http://www.rn-hswh.com/bbs/thread-86865-1-1.html 紅山文化太陽神]、任南红山文化网、13-03-27(最終閲覧日:22-12-19)</ref>]]
[[File:095813nbyeeveahr91yzpn.jpg|thumb|300px|図6、太陽神の玉器<ref> [分析] [http://www.rn-hswh.com/bbs/thread-86865-1-1.html 紅山文化太陽神]、任南红山文化网、13-03-27(最終閲覧日:22-12-19)</ref>]]
[[File:o1280096014633475637.jpg|thumb|300px|図7、玉蝉は復活・再生を願って死者の口にくわえさせたと言われる<<ref>紅山文化 玉蝉、kanjakuanのブログ、[https://ameblo.jp/kanjakuan/entry-12578791548.html 最終閲覧日](25年12月20日)</ref>。]]
[[File:Hongshan Culture Painted Pottery (19817345241).jpg|thumb|300px|図8、紅山文化の彩色陶器。内モンゴル博物館]]
[[File:紅山文化_玉象首_玉而富_照片_015.jpeg|thumb|300px|図9、象頭の玉器]]
[[File:Kumogata1.jpg|thumb|300px|図10、勾雲形玉器(N2-Z1-M21)、牛河梁遺跡、第2地点1号塚21号墓<ref>紅山文化と檀君史話、えにし書房、李讃九著、朴美貞訳、2019</ref>]]
'''紅山文化'''(こうさんぶんか、Hóngshān Wénhuà)は、中国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃-紀元前2900年頃<ref>[http://www.nga.gov/exhibitions/chbro_chron.shtm Timeline posted by National Gallery of Art, Washington, DC.]</ref>)に存在した新石器時代の文化。

万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、[[竜]]などをかたどった[[ヒスイ]]などの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性が考えられている。

紅山文化の名は、内モンゴル自治区の赤峰市で発見された紅山後(こうざんご、Hongshanhou)遺跡に由来する。1908年、満蒙調査を行っていた考古学者の鳥居龍蔵が発見し、1935年に濱田耕作(浜田青陵)や水野清一らにより大規模な調査が行われた。戦後各地で発掘が相次ぎ、彩陶と細石器に特徴付けられるこの文化は1954年、紅山後にちなんで紅山文化と命名されている。

紅山文化は母系社会で、神像は女性を祀るために使われたものと思われる。 また、女性の太陽神を祀るために、神像は高台に吊るされたと思われる<ref>[https://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克、原文網址:https://read01.com/o2O5oz.html]、壹讀、15-04-21(最終閲覧日:22-12-19)</ref>。

== 私的考察 ==
紅山文化では、死者の再生を願う風習があり、その象徴がセミ(蝉)だったことが分かる。

太陽神像を見ると多くが男性形だが、女性形の太陽神もわずかにあるようである。母系社会だが、太陽神が女性から男性に移行する過程の文化だったことが分かる。太陽神像は人間と同じ形ではなく、男性形・女性形いずれの場合も頭上にウサギの耳のような突起状のものがついている。これはいわゆる「三叉冠」が変形したものではないだろうか。手足が獣の爪様の神像もある。これらの神像は「木に吊されて使用された」という説もある。女神であれば当然「吊された女神」となろう。「吊された女神」に死者を再生させる能力がある、と考えられていたと思われる。男性形の太陽神も、発生当初は女神を男神に変更しただけだったので、像は木に吊されたのだと考える。再生者としての機能も、その際に男性形の太陽神に移されたのだろう。その際に、おそらく太陽女神は「亡くなった太陽女神」として[[月女神]]に変更されてしまったと考える。男性形の太陽神は太陽女神の兄と考える。朝鮮には「日妹・月兄」という伝承があるが、この伝承によると太陽神は最初兄で、後に妹に太陽神を譲った、とある<ref>日妹・月兄(その一)、韓国昔話集成8、崔仁鶴他、悠書館、50p</ref>。現実の紅山文化の歴史はその逆で、太陽女神が次第に月神だった兄弟と入れ替わったのではないだろうか。広く北東アジア全体で、姉妹が太陽女神・兄弟が月神のパターン、それが入れ替わっているパターンと二種類の神話が流布しており、いずれが正当なのかで若干争いを含む場合があったかもしれない。歴史的な決着は地方によって異なり、紅山文化では最終的に兄弟が太陽神として定着し、日本では姉妹が太陽女神として定着したのではないだろうか。

彩陶(図8)には渦巻き模様が描かれ、雷紋と考える。雷紋の中に小さな鳥が描かれている。これが雷神を意味する雄鶏なのか、雷神の使役神といえるカラス(烏)なのかは不明だが、時代が下ると近隣の朝鮮、日本ではいわゆる「[[三足烏]]」が神霊鳥として有名になっていくので、カラスの可能性が高いと思う。雷神系の神とカラスが組み合わさった意匠は良渚文化にも見られる。三叉冠も[[良渚文化]]を特徴づけるアイテムである。紅山文化は宗教的に[[良渚文化]]に類似したことが示唆される。

紅山文化のみの特徴としては、牛河梁遺跡(ぎゅうがりょういせき、Niuheliang)から出土した女神像がある。緑色のヒスイ(翡翠)の目を持った女神は、再生の力があるとされ、一番尊敬された太陽女神の像だったと推察する。彼女が太陽女神の地位を失ったとしても、再生に関わる何らかの女神として高い地位を維持していたことが推察される。それはメソポタミア神話の[[イナンナ]]、エジプト神話のヘケトを彷彿とさせる。

兎様の頭部を持つ女神が「月の女神」とされていたのであれば、それは後の中国神話の[[嫦娥]]に相当すると考える。男性形の太陽神は火の神とされた[[祝融]]、あるいは火のような毒を持つ毒蛇がその名から暗示される[[禹]]のことと推察する。日本神話と比較すれば、太陽女神は当然[[天照大神]]と類似する。何者かに害されてその性質が変更されていれば[[大宜都比売]]に類する神となろう。男性形の太陽神は、地理的状況を総合的に考えて[[須佐之男]]に相当すると考える。

== 石器および陶器 ==
紅山文化の主な遺跡は西遼河上流の支流、潢水および土河の流域に広がっている。その年代は現在から5000年以上さかのぼり、南の黄河流域の[[仰韶文化]]の中期および晩期に相当する。発見された石器は打製石器・磨製石器・細石器などであり、そのほとんどは農具で、石耜・石犁・石鋤などのすき類が多い。

紅山文化の陶器は、泥質紅陶および夾沙灰陶の2種類に分けられる。泥で作り筆で絵付けした彩陶([[彩文土器]])は煮炊きや食事などに使われ、紋様が刻まれた夾沙灰陶は食事の盛り付けなどに使われた。そのほかの陶器では、妊婦をかたどった胸像が各地から出土している。紅山文化では[[仰韶文化]]のような彩陶文化は発達しなかったが、[[龍山文化]]の黒陶の洗練された造形には近いものがある。また後期の遺跡からは青銅の環も発見されている<ref>[http://www.thejadetrade.com/ian/p1b.html Hongshan Culture - The Jade Trade]</ref>。

== 生活 ==
紅山文化では農業が主で、家畜を飼育しての畜産も発達しておりブタやヒツジが飼われた。一方では狩猟や採集などで野生動物を狩ったり野草を採ったりすることもあった。

== 玉石と精神文化、牛河梁遺跡 ==
紅山文化の墳墓からは、[[ヒスイ]]などの石を彫って動物などの形にした装飾品が多く出土している。[[ブタ]]、[[トラ]]、[[鳥]]のほか、[[龍]]を刻んだものも見つかっている。工芸の水準は高く、紅山文化の大きな特徴となっている。玉蝉は復活・再生を願って死者の口にくわえさせた<ref>紅山文化 玉蝉、kanjakuanのブログ、[https://ameblo.jp/kanjakuan/entry-12578791548.html 最終閲覧日](25年12月20日)</ref>(図7)。「猪竜/ 玉猪竜(zhūlóng)」([[燭陰]](Zhulong)とは別)と呼ばれる紅山文化の玉竜(竜を彫った玉)の造形は単純であり、竜が円形になっているものが多いが、後期になると盤竜・紋竜などの区別がはっきりとしてくる。考古学者の中には、後に中原で始まった竜への崇拝は、紅山文化にその源を発するという見方もある。

1983年に遼寧省凌源市から建平県にかけての広い範囲で発見された[[牛河梁遺跡]](ぎゅうがりょういせき、Niuheliang)からは紅山文化とかかわりの深い祭祀施設が発見されている。5平方kmにおよぶ広い範囲に石を積んで作られた墳墓や祭壇が整然と分布している。また石の床と彩色を施された壁のあった神殿が見つかり、目がヒスイでできた陶製の女性頭像が発見されたことから「女神廟」と呼ばれることになった。発掘の過程で、地下1mから祭祀の場や祭壇、壁画、[[ケアン]](石塚)が発見された<ref name="UNESCO">[http://whc.unesco.org/pg_friendly_print.cfm?id=141&cid=326&] UNESCO State Bureau of Cultural Relics.</ref>。

女神廟の中には、人間の3倍近い大きさの陶製の像が並んでいた。これらの像はおそらく神像であるが、現在の中国文化では類を見ないものである<ref name="Hongshan">[http://www.nga.gov/education/chinatp_sl01.htm Article by National Gallery of Art, Washington, DC.] </ref>。

牛河梁で発見された記念碑的な建築物の存在、また様々な土地との交易の証拠から、この時期には先史時代の「首長国」「王国」があったと考えられる<ref name="chiefdom">[http://www.pitt.edu/~chifeng/text.html University of Pittsburgh, Pennsylvania: ''Regional Lifeways and Cultural Remains in the Northern Corridor: Chifeng International Collaborative Archaeological Research Project.''] Cited references: Drennan 1995; and Earle 1987, 1997.</ref>。

女神廟では彩陶も発見されている<ref name="UNESCO" />。付近の60以上の墳丘墓も発掘が行われたが、これらは石を組んで石室が作られ、その上に礫をかぶせて塚が作られており、中から玉などの遺物も発見されている<ref>[http://www.nga.gov/exhibitions/chbro_preh.shtm ''Exhibition Brochure,'' National Gallery of Art, Washington, DC.]</ref>。近くの2箇所の丘の上には[[ケアン]]が発見され、その近くには石灰岩を段々に積み上げて作った円墳や方墳もある。これらの墳丘墓の中からは龍や亀の彫刻が発見された<ref name="UNESCO" />。紅山文化ではいけにえが捧げられたという指摘もある<ref name="UNESCO" />。

[[仰韶文化]]初期の遺跡から発見された遺物が語るように、紅山文化の遺跡からも初期の風水の証拠とされるものが見つかっている。牛河梁遺跡など、紅山文化の祭祀遺跡にみられる円形や方形は、[[天円地方]]の宇宙観がすでに存在していたことを示唆している<ref>[http://portfolio.du.edu/portfolio/getportfoliofile?uid=38863 Sarah M. Nelson, Rachel A. Matson, Rachel M. Roberts, Chris Rock and Robert E. Stencel: ''Archaeoastronomical Evidence for Wuism at the Hongshan Site of Niuheliang,''] 2006.</ref>。

== 遼河文明 ==
すでに長江流域から新石器時代の独自の文化(長江文明)が発見されて黄河文明中心の中国史に一石が投じられているが、黄河から北へ離れた東北(満州)の遼河流域の地からも中国の精神文化へ繋がる文明が発見されたことは大きな反響を呼んだ。この後も、遼河流域から[[興隆窪文化]]などの新石器文化が発見されている。遼河流域の文化は黄河流域の文化などとともに中華文明へと合流したという評価がなされており、そのつながりを探る研究もなされている<ref>例えば: Da-Shun, Guo 1995. Hongshan and related cultures. In: The archaeology of Northeast China: beyond the Great Wall. Nelson, Sarah M. ed. 21-64. London and New York: Routledge.</ref>。

2015年1月に合衆国科学アカデミー紀要に発表された中国科学院のXiaoping Yang、合衆国ニューメキシコ大学のLouis A. Scuderiと彼らの共同研究者による内モンゴル自治区東部の渾善達克砂丘地帯の堆積物の検討によれば、従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した<ref>[http://www.pnas.org/content/early/2015/01/02/1418090112.abstract Groundwater sapping as the cause of irreversible desertification of Hunshandake Sandy Lands, Inner Mongolia, northern China] 合衆国科学アカデミー紀要</ref>。このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、のちの中国文化へと発達した可能性が指摘されている<ref>[http://www.archaeology.org/news/2883-150109-mongolia-hongshan-jade New Thoughts on the Impact of Climate Change in Neolithic China] Archaeology誌解説記事</ref>。

韓国の研究家は満州にあった扶余が高句麗や百済などを建国したという伝承に紅山文化を関連付けている。「古朝鮮」文明と「遼河文明」を同じと考え、古朝鮮が遼河文明を通じ中国文明を築いたという説も唱えられている<ref>[http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007073191788 中国の東北工程に影響された歴史学界…4つの新しい認識枠] 東亜日報</ref><ref>[http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200710071750011&code=210000 「코리안루트를 찾아서」(1)中·한반도·日문명의 젖줄 ‘발해문명’] - 경향닷컴(京郷ドットコム) (2007-10-07)</ref><ref>[http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/401553.html 제 5의 문명' 요하는 '중화'역사엔 없었다], 한겨례신문(ハンギョレ新聞)、박종찬、2010.01.28。</ref>。海外の史観では、紅山文化の土器が中国大陸の物より韓国の櫛文土器ともっと似ているという主張もある<!--the Fuhe, Hong-shan and Xin-le shared a textured-pottery tradition more similar to the incised Chul-mun of the Korean peninsula than the Neolithic cultures of the China Mainland--><ref>Gina Barnes(1993), China, Korea and Japan : the rise of civilization in East Asia, p109</ref>、2007年に江原道高城郡と全羅南道麗水市には紅山文化の玉石と同じ形の玉石が発見されており、紀元前6000年のものである<ref>https://news.joins.com/article/8622356</ref>。

韓国の在野史学(재야사학))(民間のアマチュア歴史愛好家)には、紅山文化と古朝鮮とを関連付ける見解があるが、講壇史学界(大学教員などのアカデミズム)では否定的な見解が主流であり、朝鮮古代史学界の権威である盧泰敦(노태돈)、ソウル大学)や盧泰敦の弟子の宋鎬晸(송호정、韓国教員大学)なども否定している<ref name="skyedaily"/>。韓国の古代史学界は、中国東北部の青銅器時代の典型的遺物である[[琵琶形銅剣]]と[[シャムシール]]と[[美松里式土器]]の使用開始年代は紀元前10世紀であり、朝鮮半島にはそれ以降に伝播した、つまり、国家が形成されるには青銅器時代が必要なことから古朝鮮の建国・出現は早くとも紀元前9世紀以降に比定しており<ref>https://www.joongang.co.kr/article/2647644, 단군신화 '역사'가 되려면, 中央日報, 2007-02-27, https://web.archive.org/web/20211012131435/https://www.joongang.co.kr/article/2647644#home, 2021-10-12}</ref>、紀元前30世紀頃に消滅した紅山文化と古朝鮮との時間的隔たりがあまりにも大きいため、紅山文化と古朝鮮との関係性を見出し難いためである<ref name="skyedaily">https://www.skyedaily.com/news/news_view.html?ID=127300, 고조선(단군조선)의 건국 기원(서기전 24세기) 불신론의 실체, skyedaily, 2021-04-08, https://web.archive.org/web/20211125162607/https://www.skyedaily.com/news/news_view.html?ID=127300, 2021-11-25</ref>。

なお紅山文化時代の古人骨のY染色体ハプログループ分析によると、ウラル系諸族やヤクート人に高頻度で観察されるハプログループNが67%の高頻度で観察され<ref> Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)[http://bmcevolbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-2148-13-216 "Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. "] BMC 13:216</ref>、遼河文明の担い手がウラル語族の言語を話していた可能性も考えられる。

== 関連項目 ==
* [[良渚文化]]

== 外部リンク ==
* [http://abc0120.net/words/abc2007030404.html 紅山文化とは - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words]
* [http://abc0120.net/words/abc2007092906.html 牛河梁遺跡とは - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words]
* [http://www.pekinshuho.com/wh/txt/2007-08/22/content_73439.htm 紅山文化部落連合体、早期国家形態の特徴に近い] - 北京週報
* http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm, 紅山文化・富河文化, 20031101172457
* [http://www.sg-r.co.jp/web/kouko/uchimongoru_kikou.html 内モンゴル遺跡紀行 関口広次]

== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E5%B1%B1%E6%96%87%E5%8C%96 紅山文化](最終閲覧日:22-12-18)
* [分析] [http://www.rn-hswh.com/bbs/thread-86865-1-1.html 紅山文化太陽神]、任南红山文化网、13-03-27(最終閲覧日:22-12-19)
* [https://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克、原文網址:https://read01.com/o2O5oz.html]、壹讀、15-04-21(最終閲覧日:22-12-19)
* 紅山文化と檀君史話、えにし書房、李讃九著、朴美貞訳、2019

== 参照 ==

{{DEFAULTSORT:こうさんふんか}}
[[Category:中国神話]]
[[Category:考古学]]
[[Category:遼河文明]]
[[Category:蝉]]

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