差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
1,140 バイト追加 、 2025年2月20日 (木)
[[陶荒田神社]]では、荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったと伝わる。
 
'''陶津耳命''' → 活玉依媛(大物主命の妃) → [[大田田根子]]
 
と伝わる。
 
=== 『先代旧事本紀』 ===
『先代旧事本紀』天神本紀では'''天櫛玉命'''は、[[饒速日命]]の防衛(ふせぎまもり)として随伴して天降った三十二人のうちの一柱とされ、鴨県主らの祖とされる。
* [[神産巣日神|神皇産霊尊]] → 天神玉命 → '''天櫛玉命''' → 鴨建角身命(八咫烏) → 鴨建玉依彦命・玉依姫命
*: 鴨県主の祖には、[[高御産巣日神]]と[[神産巣日神]]の系統が主にあるようである<ref>[https://doutaku.saloon.jp/kodainonazo/kamokeifu.html カモ系図考察](最終閲覧日:25-01-18)</ref>。
=== 祖先 ===
『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば葛城直の祖である'''剣根命'''が神武天皇朝に初代葛城国造に任命されたとある。『新撰姓氏録』によれば剣根命は'''[[高御産巣日神|高皇産霊尊]]'''の5世孫、天押立命の4世孫とされる。
剣根命の娘に賀奈良知姫(かならちひめ) という女神がいたとされる。尾張氏の祖・天忍男命と結婚し、瀛津世襲命、世襲足媛、'''建額赤命'''をもうけた、とされる(『先代旧事本紀』)。
=== 為志神社 ===
[[為志神社]](爲志神社、いしじんじゃ)は、奈良県葛城市林堂の神社。主祭神は'''伊古比都幣尊'''<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%BA%E5%BF%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE 為志神社](最終閲覧日:25-01-15)</ref>。伊古比都幣命については、「神名帳考証」に記される「'''伊毘比都幣命'''(イヒシツベノミコト)」の誤りとする「式内調査報告」の説がある。「神名帳考証」には和泉国の火雷神社(現在の[[愛宕神社(和泉国)|愛宕神社]])と石津太神社の祭神であり、「出雲国風土記」に記されるとある。按食神・稚産霊神(ワクムスビノカミ)と同神であろうとしている。火雷神社は[[陶荒田神社]]に合祀されていたのが、現在は愛宕神社として復社されている。愛宕神社、石津太神社ともに現在は祭神ではない。出雲国の方は飯石郡(現在は雲南市)に鎮座する飯石神社のこと。伊毘比都幣命が最初に降臨したとされる磐石をご神体とする社。こちらではに合祀されていたのが、現在は愛宕神社として復社されている。愛宕神社、石津太神社ともに現在は祭神ではない。出雲国の方は飯石郡(現在は雲南市)に鎮座する[[飯石神社]]のこと。伊毘比都幣命が最初に降臨したとされる磐石をご神体とする社。こちらでは'''天夷鳥命'''と同神としている。
出雲国飯石郡は鍛治製鉄が盛んであった地。和泉国の[[陶荒田神社]]は膨大な量の須恵器を作製した地。また当社の鎮座地は葛城氏が束ねていた渡来系技術者集団の居住地である<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12430980554.html 爲志神社 (改定)]、かむながらの道 ~天地悠久~(最終閲覧日:25-01-16)</ref>。
==== 私的推察 ====
[[陶荒田神社]](和泉国)の祭神であったのは、当地から和泉国へ移動した葛木氏が祀ったものと考える。出雲の飯石神社は、その地から葛木氏の先祖が大和葛木にやってきたか、あるいはその逆であって、その際に伴ってきた(あるいは伴っていった)神なのではないだろうか。葛木氏とは葛木・鴨・尾張系の氏族の中でも、渡来系の人々を束ねていた人々なのではないだろうか。(和泉国、大阪府堺市中区上之)の祭神であったのは、当地から和泉国へ移動した葛木氏が祀ったものと考える。出雲の飯石神社は、その地から葛木氏の先祖が大和葛木にやってきたか、あるいはその逆であって、その際に伴ってきた(あるいは伴っていった)神なのではないだろうか。葛木氏とは葛木・鴨・尾張系の氏族の中でも、渡来系の人々を束ねていた人々なのではないだろうか。
'''伊毘比都幣命'''(イヒシツベノミコト)あるいは'''伊古比都幣尊'''(イコシツベノミコト)は、本来は「'''井日比戸部'''」のような意味で、女神だったのではないかと推察する。'''剣根命'''の配偶神とされていたかもしれない。吉野の'''[[井氷鹿]]'''女神に類する女神だったのではないだろうか。'''伊毘比都幣命'''(イヒシツベノミコト)から[[井氷鹿]]が、'''伊古比都幣尊'''(イコシツベノミコト)から[[井氷鹿|坐摩]]の神が派生した可能性があるように考える。伊毘志都幣命は天之菩卑能命の子神と言われるので、葛城氏は出雲国造、土師氏とも近縁姓のある氏族と考えられると思う。おそらく、'''出雲国造家は葛城氏の同族で、時代が下ってから、[[天照大御神]]・[[須佐之男命]]の系譜に組み替えたものではないだろうか'''。[[陶荒田神社]]には、荒田直は祭神である[[高御産巣日神|高魂命]]の直系の子孫だったとされている。これはとりも直さず、'''荒田直が属した葛木氏こそが[[高御産巣日神|高魂命]]の直系の子孫'''だ、と主張することに他ならないのではないだろうか。まさに「'''葛木氏こそが高天原の中心である'''」とでも言いたげであると考える。
== 剣根彦を祀る神社 ==
* [[陶荒田神社]]:大阪府堺市中区上之にある神社。剣根彦は荒田直の祖と言われている。荒田直は祭神である高魂命の'''直系の子孫'''だったとしている。 周辺は太田田根子の故地とされる。
 
== 関連する神社 ==
* [[等彌神社(桜井市)]]:鍋塚古墳に関する伝承などと併せて考えるに、桜井市鳥見周辺も葛木氏の勢力下だったのではないか、と思われる。
== 人物 ==
== 関連項目 ==
* [[野見宿禰]]:葛木氏を名乗る前は「野見氏」だったのではないだろうか。
* [[八十梟帥]]:葛城に赤銅色の者がいた、とされる。
* 川上山若宮八幡宮:配祀として[[葛城襲津彦|葛城襲津彦命]]が祀られている。平宗清の末裔、日置、福地、北村の伊賀柘植三方は氏神として信仰した。

案内メニュー