=== 中国における地蔵信仰 ===
偽経とされる『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経]』(預修十王生七経)や『[[十王#日本|地蔵菩薩発心因縁十王経]]』(地蔵十王経)によって、[[道教]]の[[十王|十王思想]]と結びついて、中国においては地蔵菩薩が[[閻魔]]または十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が広まった。閻魔王は地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているため、綿密に死者を裁くことができるとされ、[[太山府君|泰山王]]とともに十王の中心に据えられた。偽経とされる『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(預修十王生七経)や『地蔵菩薩発心因縁十王経』(地蔵十王経)によって、道教の十王思想と結びついて、中国においては地蔵菩薩が閻魔または十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が広まった。閻魔王は地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているため、綿密に死者を裁くことができるとされ、泰山王とともに十王の中心に据えられた。
このため[[中国]]においてはこのため中国においては'''地藏王菩薩'''と呼ばれ、主に死後の(地獄からの)救済を願って冥界の教主として信仰される。[[日本]]の[[神奈川県]][[横浜市]]中区にも、死者の永眠を祀る[[中華義荘|地藏王廟(中華義荘)]]が華僑によって建立されている。と呼ばれ、主に死後の(地獄からの)救済を願って冥界の教主として信仰される。日本の神奈川県横浜市中区にも、死者の永眠を祀る地藏王廟(中華義荘)が華僑によって建立されている。
[[明]]代の小説である『[[西遊記]]』でも、冥界を司る地藏王菩薩が[[孫悟空]](斉天大聖)の暴れっぷりを地獄から天の[[玉皇大帝]]に上奏する場面が描かれている。明代の小説である『西遊記』でも、冥界を司る地藏王菩薩が孫悟空(斉天大聖)の暴れっぷりを地獄から天の玉皇大帝に上奏する場面が描かれている。
地藏王菩薩の聖地は、[[安徽省]]にある[[九華山]]である。これは、[[新羅]]の地蔵という僧([[696年]] 地藏王菩薩の聖地は、安徽省にある九華山である。これは、新羅の地蔵という僧(696年 - [[794年]]、俗名[[金喬覚]]、俗姓と法名を連ねて、金和尚あるいは金地蔵とも呼ばれる)が、この地にある化城寺に住したことに因むものである。齢99で、この地で入滅した地蔵は、3年後に棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことなどから、地蔵を地藏王菩薩と同一視する信仰が生まれ、その起塔の地が地藏王菩薩の聖地となったものである。その故事によって、[[文殊菩薩]]の[[五台山 (中国)|五台山]]、[[普賢菩薩]]の[[峨眉山]]、[[観音菩薩]]の[[普陀山]]と並ぶ中国仏教の聖地([[中国四大仏教名山]])として、今日まで信仰を集めている。794年、俗名金喬覚、俗姓と法名を連ねて、金和尚あるいは金地蔵とも呼ばれる)が、この地にある化城寺に住したことに因むものである。齢99で、この地で入滅した地蔵は、3年後に棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことなどから、地蔵を地藏王菩薩と同一視する信仰が生まれ、その起塔の地が地藏王菩薩の聖地となったものである。その故事によって、文殊菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の普陀山と並ぶ中国仏教の聖地(中国四大仏教名山)として、今日まで信仰を集めている。
=== 日本における地蔵信仰 ===
[[File:Atago Gongen.jpg|thumb|300px|勝軍地蔵(ギメ東洋美術館)]]
[[愛宕権現]]の[[本地仏]]。大宝年間、[[役小角]]が白山修験の開祖とされる[[泰澄]]と山城国愛宕山に登ったとき、[[龍樹菩薩]]、富楼那尊者、[[毘沙門天]]、[[愛染明王]]を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。また、[[敏達天皇]]の御代、[[日羅]]が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『[[元亨釈書]]』には[[清水寺]]の[[延鎮]]が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に[[坂上田村麻呂]]の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、[[儀軌]]などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。
=== 道祖神との関係 ===
先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や[[墓|墓場]]に、多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の[[結界]]の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。
また道祖神のことを'''[[ミシャグジ|シャグジ]]'''ともいうことから、シャグジに'''将軍'''の字を当て、道祖神と習合した地蔵を'''将軍地蔵'''(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。
== 鬼門地蔵 ==
仏教上では、非道者で仏法を否定、誹謗する者を[[一闡提]](略して闡提)というが、これには単に「成仏し難い者」という意味もあることから、一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で、あえて成仏を取り止めた地蔵菩薩や観音菩薩のような菩薩を「'''大悲闡提'''」と称し、通常の闡提とは、明確に区別する。
=== 道祖神との関係 ===
[[ファイル:地蔵5233.JPG|thumb|200px|なすあり地蔵菩薩。[[1954年]]([[昭和]]29年)水道工事の際、白川の川底から掘り出された。以降この地に祀られている。京都市東山区白川北通。]]
先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や[[墓|墓場]]に、多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の[[結界]]の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。
また道祖神のことを'''[[ミシャグジ|シャグジ]]'''ともいうことから、シャグジに'''将軍'''の字を当て、道祖神と習合した地蔵を'''将軍地蔵'''(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。
== 垂迹神 ==