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詠み手が長歌で「水江の浦島子の家」の跡が見えると締めくくっている。その舞台の「墨吉」は「すみのえ」と仮名振りされており、従来は丹後地方の網野町に比定されていたが、武田祐吉が摂津国住吉郡墨江村であると提唱した。澤瀉久孝『萬葉集注繹』では、虫麻呂はおそらく摂津の住吉にいたのだろうが、浦島伝説の舞台をここに移し変えて「創作」したのだとしている<ref>辻尾榮市, "異郷淹留(えんりゆう)譚", "蝉脱"高橋虫麻呂ーその閲歴及び作品の制作年次についてー, 國文學, 関西大学国文学会, 1963, https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/4476, hdl:10112/6587, volume34, p28-29</ref><ref>大阪ではないが、摂津国の高砂が浦島の地元という設定は、明治(1880年)の赤本絵本にもみられる(林, 2009, p84)</ref>。
異郷淹留の場所が[[ワタツミ]]の神の国となり、仙女がその海神の娘になっているのは、この萬葉歌での加筆部分であるが、これもおそらく虫麻呂の創作であろうと考えられている異郷淹留の場所がワタツミの神の国となり、仙女がその海神の娘になっているのは、この萬葉歌での加筆部分であるが、これもおそらく虫麻呂の創作であろうと考えられている<ref>{{harvp|三浦|, 1989|p=115}}, p115: 「虫麻呂が、島子の行った異境をワタツミの国として設定」</ref>。
=== 平安以降 ===
平安時代以降も漢文伝として書き継がれてきた:
* 10世紀初頭:『[[続浦島子伝記]]』{{sfnp|10世紀初頭:『続浦島子伝記』<ref>三浦|, 1989|pp=142, pp142, 148-149}}</ref>* 11世紀後半:「浦島子伝」(『[[本朝神仙伝]]』 11世紀後半:「浦島子伝」(『本朝神仙伝』 所収){{sfnp|<ref>三浦|, 1989|pp=152, pp152-153}}</ref>* 11世紀末:「浦島子伝」(『[[扶桑略記]]』 11世紀末:「浦島子伝」(『扶桑略記』 所収){{sfnp|<ref>三浦|, 1989|p=153}}, p153</ref>* 13世紀初期:「浦島子伝」(『[[古事談]]』 13世紀初期:「浦島子伝」(『古事談』 所収){{sfnp|<ref>三浦|, 1989|p=153}} など{{要検証|date=2017年9月}}。, p153</ref>など(要検証:2017年9月)。12世紀以降になると、『[[俊頼髄脳]]』をはじめ『[[奥儀抄]]』、『[[和歌童蒙抄]]』など[[歌論書]]に浦島物語が仮名書きで写され、宮廷や貴族達の、より幅広い層に浦島物語が広く浸透した{{sfnp|12世紀以降になると、『俊頼髄脳』をはじめ『奥儀抄』、『和歌童蒙抄』など歌論書に浦島物語が仮名書きで写され、宮廷や貴族達の、より幅広い層に浦島物語が広く浸透した<ref>三浦|, 1989|pp=158, p158-161}}</ref>
中世になると、『御伽草子』の「浦島太郎」をはじめ絵巻・能・狂言の題材になり、読者・観客を得て大衆化していき、江戸時代に受け継がれた{{sfnp|三浦|1989|pp=185, 198}}。

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