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362 バイト追加 、 2024年11月2日 (土) 17:50
:『山海経』の「大荒西経」には共行国という地域が登場しており、[[禹]](う)の時代に共工国を攻めたとする記述がある<ref>袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 233頁</ref>。
神話学者の袁珂は、数ある共工の伝説のうちでは'''顓頊の時代とする文献が古いかたちのもの'''であろうと考察しており、その存在は黄帝に属する系統と対立する者(炎帝に属する系統)の代表と目された為に四罪の代表格・悪神のような扱われ方をされているものであると見ている<ref name="enka" /><ref group="私注">[[顓頊]]の系譜の神話は、[[黄帝]]の事績を改変するために作られたものである、と管理人は考えるので、単純に[[顓頊]]と敵対したから、[[炎帝神農|炎帝]]側である、とはいえないと管理人は感じる。後代に作られた神話ほど、[[黄帝]]なのか[[炎帝神農|炎帝]]なのか、それぞれの性質が入り交じってしまって判別できない神が増えていくように思う。</ref>。女媧の時代から神話上に時を越えて千年近くに渡り執拗に登場し続けては敗北をする悪神として描かれているのは、中原(ちゅうげん)を本拠とした政権と長期にわたって敵対し羌(きょう)族が共工を信奉していたためではないかとも考えられている<ref group="私注">[[啓]]のような簒奪者の行為を正当化するには、それほどの執拗さが必要だったのではないだろうか。だから殷は羌族の神を悪神とすることで、羌族そのものを「悪神を信じる悪者」ということにしてどんどん人身御供に捧げたのだろうか?</ref>。
== 共工の子 ==
また、共工が作り出され、善神から悪神へと変化する移行期には共工が「善神」と考えられた時期もあったと推察される。三苗に関連して、三苗の子孫である羌族は苗姓であるとされている。一部では共工は中原の黄河文明と対立した羌族の神ではないか、とする説があるようである。この説を取れば、共工と戦った祝融は黄河文明の神のように思えるが、これは祝融を「南方の神」とすることと矛盾するように思う。共工が長江流域の神であり、羌族・苗族の神だったと仮定すれば、これは'''長江流域の神々の中での「火の氏族」と「水の氏族」との争いだった'''、ともいえるのではないだろうか。そして「火の氏族」が勝ちたいがために「'''善神であった黄帝を共工に変換して共工を悪神とした'''」のではないだろうか。黄帝も古くから長江流域で信仰されていた水神の一種だったと考える。このように考えれば、逆に「'''共工を悪神とした理由は、それを信奉していた羌族を悪者にしたいため'''」であったとも言えなくはないだろうか? 人は神をただ敬い信じるものではなく、神を政治的な目的の道具としても利用してきた歴史があるように思うからである。
現在の羌族は天神(太陽神)信仰が強い多神教で、神々を白石で表すとのことだ。「白い太陽神」が黄帝のことを指すのであれば、羌族の先祖の敵であった者たちは、これを「共工」と名をつけ、悪しき水神を拝む輩である、として羌族を攻撃したかもしれないと思う。現在の羌族は天神(太陽神)信仰が強い多神教で、神々を白石で表すとのことだ。「白い太陽神」が黄帝のことを指すのであれば、羌族の先祖の敵であった者たちは、これを「共工」と名をつけ、悪しき水神を拝む輩である、として羌族を攻撃したかもしれないと思う。何故そのようなことをしたかといえば、「水神である黄帝は人身御供を廃止した」けれども、人身御供とは敵を始め邪魔者を排除する有効な手段である、と考え、黄帝を正当に信仰する羌族が邪魔だったからではないだろうか。
ミャオ族は楓を神格化しており、これはまさに蚩尤の象徴だ、といえる。彼らの先祖が炎帝信仰だったとすれば、その先祖と争った雷神とは、まさに「水神である黄帝」といえる。黄帝雷神は大洪水を起こす神でもある。洪水の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われている。共工は大洪水を起こす黄帝雷神だったのではないだろうか。彼が天で暴れないときには、穏やかに輝く「白い太陽神」ともなり得ただろう。ミャオ族は楓を神格化しており、これはまさに蚩尤の象徴だ、といえる。彼らの先祖が炎帝信仰だったとすれば、その先祖と争った雷神とは、まさに「'''水神である黄帝'''」といえる。黄帝雷神は大洪水を起こす神でもある。洪水の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われている。共工は大洪水を起こす黄帝雷神だったのではないだろうか。彼が天で暴れないときには、穏やかに輝く「白い太陽神」ともなり得ただろう。
== 参考文献 ==

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