ネイトが猛獣のトーテムを持ち、狩の女神でもあることは、その起源が農耕・牧畜が開始される前の、狩猟採集の時代にまで遡るものとはいえないだろうか。農耕神であるサートゥルヌスよりも起源が古い神といえる。しかし、その顔が隠れていて見えない点は「魔眼」持ちであり、夜に明かりを灯して祀られる点は、「太陽から力を得て灯るサートゥルヌスの祭祀」を思わせる。彼女が弓矢で魔を追い払う点は、そこにのみわずかに苗族の「鶏英雄」あるいは中国神話の羿の姿をうかがわせるように思う。それ以外の点では、猛獣大母であり、世界と人々の運命の秩序を織り上げ、天輪を回す織り姫である点から、彼女は母系社会が優位であった時代の「'''太陽王母'''」であったと推察される。彼女は羲和のように「太陽の母」とされている。また水神でもある。
母系社会の「太陽王母」が「天空全体の秩序を守る日月北斗(星)女神でもある。」とすれば、ネイトはその性格を強く残した女神といえる。日本には、神々について「和魂(にぎたま)」と「荒魂(あらたま)」という概念があり、和魂のとき、神々は穏やかで秩序は守られているが、荒魂は神の荒々しい側面といわれ、一つの神はこの二面性を持って存在している。彗星や流星が「'''天空の秩序を乱す太陽の一側面'''」で、「'''太陽の火が飛び散って発火しているようなもの'''」あると考えられていたのであれば、発火していない時はその姿が見えない、となる。「'''太陽王母'''」の「和魂」が日々の日月北斗の運行の秩序を守るものであるとすれば、「荒魂」とはどこをうろつくのか定まらない彗星や流星、時に雷のことを指すといえる。ネイトの通常時の姿を誰も見たことがない、ということは、ネイトは日本神話で言うところの「'''荒魂の側面が強い太陽女神'''」であるといえると考える。母系の太陽王母が自らの娘達を襲って財産と貞操を奪う理由はないので、彼女は選択的に日月乙女を襲うことはない。彼女が「生け贄を求める女神」であるならば、猛獣女神の餌としての人身御供は、男でも女でも構わないということになる。すなわち、性差を問わず人身御供を求める文化は、猛獣の太陽王母に起源があり、日月乙女が人身御供とされる文化は父系の狼神の力が太陽王母を上回った父系文化の台頭に起源がある、ということである。サートゥルヌスが性差を問わず生け贄を求める神であるということは、男神ではあるけれども、その起源が母系社会の時代にあることが示唆される。」であるといえると考える。母系の太陽王母が自らの娘達を襲って財産と貞操を奪う理由はないので、彼女は選択的に日月乙女を襲うことはない。彼女が「生け贄を求める女神」であるならば、猛獣女神の餌としての人身御供は、男でも女でも構わないということになる。すなわち、性差を問わず人身御供を求める文化は、猛獣の太陽王母に起源があり、日月乙女が人身御供とされる文化は父系の狼神の力が太陽王母を上回った父系文化の台頭に起源がある、ということである。サートゥルヌスが性差を問わず生け贄を求める神であるということは、男神ではあるけれども、その起源が母系社会の時代にあることが示唆される。地中海周辺はネイトを始めとして、古くからの女神信仰が強力に残されたため、「'''性差を問わず生け贄を求める'''」という彼女達の文化も色濃く残されたのだと思われる。しかし、カリストーに対するアルテミスのように、女神達が「父系の神話の擁護者」として父系の神話に強力に取り込まれると、彼女達は父系の神らしく、元は自分と同じものだったと思われる日月乙女達を虐待しだすのである。
=== 竹取物語・日本の伝承 ===