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物語全体の流れとしては物語全体の歴史の上での流れとしては
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|10|好色な河伯が、織女を犯しては殺す(人身御供)。河伯に人身御供を捧げるのが当たり前の時代。人身御供肯定の文化。|→人身御供禁止へ(羿の英雄譚が暗示するもの)|-|1-1|好色な河伯が、織女を犯しては殺す(人身御供の暗喩)、という物語に変化|人身御供に否定的な文化の始まり|-|1-2|上位の女神(太陽女神? 母、姉など)からを受けて、河伯は去勢されたり、殺されたりする。女神は夫や部下の協力を得ている、という物語|人身御供に否定的な文化の始まり
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|河伯よりも上位の女神(太陽女神? 母、姉など)から河伯は罰を受けて、去勢されたり、殺されたりする。女神は夫や部下の協力を得ている。(人間が父系の時代に入ると、男性の身内を害する女神の方が処罰の対象になる)|→人身御供肯定への揺れ戻し
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|(人間が父系の時代に入ると、男性の身内を害する女神の方が処罰の対象になる)女神は男性の身内を害した、として処罰される(「罰を受ける女神」の神話の創設)|人身御供肯定の文化
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|4
|女神は男性の身内を害した、として処罰される(「罰を受ける女神」の神話の創設)
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|罰を受ける女神の神話が様々なバリエーションに展開して各地に伝播する
|人身御供については否定と肯定が入り混じる
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という、歴史的変遷があったと思われる。そして、日本のという、変遷があったと思われる。そして、日本の'''「天照大神の岩戸隠れ」の神話は、ほぼこの物語の流れに一致'''するのである。須佐之男は織女を殺して罰を受けるが、天照大神の方も岩戸に籠もる等、その機能に何らかのダメージを受けている。しかし、部下達の助けを得て復活する。けれども物語の流れとして、1と2との間には古くから断絶が試みられ、別々の物語とされているように思います。少なくとも、それは紀元前1000年よりも前に起こっているので、台湾には別々の物語として伝播しました。日本神話にほぼそのままの展開が残されることになった経緯は良く分かりません。そして羿神話との関連から述べれば、羿が射落とした烏(偽の太陽)=河伯(蛇神)であった、ということになります。烏も河伯も、世界樹である「扶桑樹」に関連するものです。烏はその枝に留まり、蛇はその根元に巣くうものなのではないでしょうか。 そして、テーセウスであるところの羿が、自らの行為を正当化するためにアリアドネーである太陽女神を巻き込んで、彼女の賛成があるから、ミーノータウロスという河伯を倒すこと(妻の男性の身内を殺すこと)を正しいこととしたこと、が、父系の台頭と共に、太陽女神の零落と、逆に「身内を裏切った女神こそが罰を受けねばならない」という思想に発展していくのだと思います。・・・いったい、「誰が悪いのか?」と言われても、そもそも '''太陽女神を非難して、抹殺した「天照大神の岩戸隠れ」の神話は、ほぼこの物語の流れの1-2~3に一致'''するのである。須佐之男は織女を殺して罰を受けるが、天照大神の方も岩戸に籠もる等、その機能に何らかのダメージを受けている。しかし、部下達の助けを得て復活する。けれども物語の流れとして、1-1と1-2との間には古くから断絶が試みられ、別々の物語となるよう操作されているように思う。少なくとも、それは紀元前1000年よりも前に起こっているので、台湾には1-1と1-2は別々の物語として伝播しているのであろう。そして羿神話との関連から述べれば、羿が射落とした烏(偽の太陽)=河伯(蛇神)であった、という仮定ができる。烏も河伯も、世界樹である「扶桑樹」に関連するものだからである。烏はその枝に留まり、蛇はその根元に巣くうものだ。
のは、
しかし、伝承の上で、最終的に「鳥(烏)」であったものが、太陽と同一視されるようになった、ということは、「扶桑樹」のうちでも、「鳥(烏)」の要素を構成するものが中心となって、'''自分自身が権力を握りたい。自分こそが太陽神となりたい。'''と考え、太陽女神を失墜させ、'''自らがとって変わった'''という、これは伝承ではなく、'''現実の歴史の上''で起こったことと考える。日本神話では、八咫烏が「自ら王権のありかを決定する」、と示唆されており、王権のありかを定めるには「天照大神の子孫」とされていても、天照大神が直接定めるとはされていない。ただし、これは「八咫烏が天照大神の意を受けて定めた」とも受け取れるので、八咫烏とは人の組織や身分の上から言うと、「'''神の意を伝えるシャーマン'''」のような立場と思われる。西欧では「鳥に選ばれた者が王になる」という伝承もある。王権は神が授ける、という考えはキリスト教と結びついて、観念としては現在までも残っているのではないのか、と思う。
と願った'''烏'''がいたからなのではないのか、太陽女神を非難したのは、単なる「口実」に過ぎないのではないのか、と思う。母系とか父系とかそういう問題ではなくて、主人を中傷して権力を得た'''簒奪者'''こそが有罪であると烏の子孫の筆者はそう思うわけです。
日本神話になぞらえれば、「誰が真の意味で'''天照大神を岩戸に押し込めて殺したのか'''(岩戸とは冥界の別の姿といえる)」と問われれば、それは「自らこそが太陽であり、王権のありかを決めるものである」と主張した八咫烏なんじゃないの? 筆者も一応賀茂のはしくれの一人の気がするのだけれども? とそうなるわけです。でも、八咫烏が「自ら王権のありかを決定する」、とそう宣言することは、皇祖神であり、本来王権のありかを定める権利を持つ天照大神の権利の侵害なのではなかろうか、とそういうことです。ただし、古代中国の殷(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)では、「殷王は神界と人界を行き来できる最高位のシャーマンとされていた」ので、シャーマンからそのまま王に移行した例もある。日本の天皇にも、祖神の天照大神を祀ったり、穀霊を祀るシャーマン的な側面がある。また、かつては人間をそのまま神と考える「現人神」の文化もあり、天皇は王でもあり、太陽の子孫のシャーマンでもあり、神でもあり、それらが区別されずに一体化された存在とされていた。(そして、その地位の権利を八咫烏が定めた、といえる。)そのため、古代における「最高位のシャーマン」と「王権」と「神」とは互いに重なる部分があると考える。よって、今、古代の遺物の中にシャーマン的な人の像などを見る時には、それは現代的な観点では「シャーマン」に相当するものなのか、「王」に相当するものなのか、それとも「神」に相当するものなのか、ということはその遺物の存在した時代の文化を考慮した上でなければ、正確な意味を決めることが難しいのではないか、と思うのである。
=== 作物の起源 ===