紅山文化の墳墓からは、[[ヒスイ]]などの石を彫って動物などの形にした装飾品が多く出土している。[[ブタ]]、[[トラ]]、[[鳥]]のほか、[[龍]]を刻んだものも見つかっている。工芸の水準は高く、紅山文化の大きな特徴となっている。「猪竜/ 玉猪竜(zhūlóng)」([[燭陰]](Zhulong)とは別)と呼ばれる紅山文化の玉竜(竜を彫った玉)の造形は単純であり、竜が円形になっているものが多いが、後期になると盤竜・紋竜などの区別がはっきりとしてくる。考古学者の中には、後に中原で始まった竜への崇拝は、紅山文化にその源を発するという見方もある。
[[1983年]]に[[遼寧省]][[凌源市]]から[[建平県]]にかけての広い範囲で発見された1983年に遼寧省凌源市から建平県にかけての広い範囲で発見された[[牛河梁遺跡]](ぎゅうがりょういせき、Niuheliang)からは紅山文化とかかわりの深い祭祀施設が発見されている。5平方kmにおよぶ広い範囲に石を積んで作られた墳墓や祭壇が整然と分布している。また石の床と彩色を施された壁のあった神殿が見つかり、目がヒスイでできた陶製の女性頭像が発見されたことから「女神廟」と呼ばれることになった。発掘の過程で、地下1mから祭祀の場や祭壇、壁画、[[ケアン]](石塚)が発見された<ref name="UNESCO">[http://whc.unesco.org/pg_friendly_print.cfm?id=141&cid=326&] UNESCO State Bureau of Cultural Relics.</ref>。
女神廟の中には、人間の3倍近い大きさの陶製の像が並んでいた。これらの像はおそらく神像であるが、現在の中国文化では類を見ないものである<ref name="Hongshan">[http://www.nga.gov/education/chinatp_sl01.htm Article by National Gallery of Art, Washington, DC.] </ref>。
牛河梁で発見された記念碑的な建築物の存在、また様々な土地との交易の証拠から、この時期には先史時代の「首長国」「王国」があったと考えられる<ref name="chiefdom">[http://www.pitt.edu/~chifeng/text.html University of Pittsburgh, Pennsylvania: ''Regional Lifeways and Cultural Remains in the Northern Corridor: Chifeng International Collaborative Archaeological Research Project.''] Cited references: Drennan 1995; and Earle 1987, 1997.</ref>。
女神廟では彩陶も発見されている<ref name="UNESCO" />。付近の60以上の[[墳丘墓]]も発掘が行われたが、これらは石を組んで石室が作られ、その上に礫をかぶせて塚が作られており、中から玉などの遺物も発見されている。付近の60以上の墳丘墓も発掘が行われたが、これらは石を組んで石室が作られ、その上に礫をかぶせて塚が作られており、中から玉などの遺物も発見されている<ref>[http://www.nga.gov/exhibitions/chbro_preh.shtm ''Exhibition Brochure,'' National Gallery of Art, Washington, DC.]</ref>。近くの2箇所の丘の上には[[ケアン]]が発見され、その近くには[[石灰岩]]を段々に積み上げて作った円墳や方墳もある。これらの墳丘墓の中からは龍や亀の彫刻が発見されたが発見され、その近くには石灰岩を段々に積み上げて作った円墳や方墳もある。これらの墳丘墓の中からは龍や亀の彫刻が発見された<ref name="UNESCO" />。紅山文化ではいけにえが捧げられたという指摘もある<ref name="UNESCO" />。
[[仰韶文化]]初期の遺跡から発見された遺物が語るように、紅山文化の遺跡からも初期の[[風水]]の証拠とされるものが見つかっている。牛河梁遺跡など、紅山文化の祭祀遺跡にみられる円形や方形は、[[天円地方]]の宇宙観がすでに存在していたことを示唆している<ref>[http://portfolio.du.edu/portfolio/getportfoliofile?uid=38863 Sarah M. Nelson, Rachel A. Matson, Rachel M. Roberts, Chris Rock and Robert E. Stencel: ''Archaeoastronomical Evidence for Wuism at the Hongshan Site of Niuheliang,''] 2006.</ref>。
== 遼河文明 ==
{{main|遼河文明}}
すでに長江流域から新石器時代の独自の文化([[長江文明]])が発見されて[[黄河文明]]中心の中国史に一石が投じられているが、黄河から北へ離れた[[中国東北部|東北]]([[満州]])の[[遼河]]流域の地からも中国の精神文化へ繋がる文明が発見されたことは大きな反響を呼んだ。この後も、遼河流域から[[興隆窪文化]]などの新石器文化が発見されている。遼河流域の文化は黄河流域の文化などとともに中華文明へと合流したという評価がなされており、そのつながりを探る研究もなされている<ref>例えば: Da-Shun, Guo 1995. Hongshan and related cultures. In: The archaeology of Northeast China: beyond the Great Wall. Nelson, Sarah M. ed. 21-64. London and New York: Routledge.</ref>。