『延喜式』神名帳には信濃国水内郡に「健御名方富命彦神別神社 名神大」とある。長野市大字長野字本城東、長野市信州新町、飯山市にあるものはいずれも論者である。文献では、持統天皇5年(691年)に天皇の命で信濃国に「水内神」を祀らせたとする記述<ref>『日本書紀』持統天皇5年8月23日条。</ref>があり、これが文献上初見とされる。『延喜式』神名帳に「水内神」の記載はないが、健御名方富命彦神別神社が水内郡唯一の大社であることから、この「水内神」は健御名方富命彦神別神社を指すと考えられている。神社名の通り、本来の祭神は「健御名方富命彦神別神(たけみなかたとみのみことひこかみわけのかみ)」と考えられる。
健御名方富命彦神別神は、諏訪大社では、下社摂社の若宮社に「建御名方彦神別命」として祀られる。建御名方命の御子神とされる。金刺氏が大祝を務めていた下社に縁の神といえる。
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