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馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ、まおうたいかんぼ、拼音: Mǎwángduī Hànmù)は、中華人民共和国湖南省長沙市芙蓉区にある紀元前2世紀の墳墓。前漢の利蒼(? - 紀元前186年)とその妻子を葬る。 1号墓の被葬者は利蒼の妻、辛追。
1号墓、3号墓の内棺の蓋板には、形・内容ともほぼ同様の帛画が掛けられていた<ref name="kexueyuan-1988-p402">社会科学院 (1988) p.402</ref>。いずれもT字型の一重(ひとえ)の絹地で作られており<ref name="huang-p218" >黄ら (2003) p.218</ref>、上縁に竹棒が通され<ref name="chen-p91">陳 (1981) p.91</ref>、吊り下げるための絹の掛け紐が付き<ref name="chen-p91" /><ref name="zhu-p194">朱 (2006) p.194</ref>、T字の4箇所の下端四隅には房がつけられていた<ref name="zhu-p194" />。当時の葬送儀礼に欠かせなかった旌幡<ref>被葬者の名前などを記した旗。</ref>であろう<ref name="zhu-p194" />。1号墓の帛画は長さ205センチメートル、上端部の幅は95センチメートルあり<ref name="matsumaru-p458">松丸ら (2003) p.458</ref>、完全な保存状態で出土した<ref name="zhu-p194" />。
帛画は、緑色<ref name="chen-p91" />に染めた絹の上に、主に鉱物性の顔料<ref name="chen-p91" />を用いて色彩豊かに<ref name="zhu-p194" />描かれている。絵の主題には楚の地方色が色濃く反映され<ref name="chen-p94">陳 (1981) p.94</ref>、当時の楚の幻想的・屈原的な雰囲気を偲ばせる<ref name="chen-p89">陳 (1981) p.89</ref>。この帛画は中国古代絵画の最高傑作と言い得るものである<ref name="tsuruma-p169" /><ref name="matsumaru-p458" />。
帛画の上部は天上界を表す<ref name="kexueyuan-1988-p402" /><ref name="huang-p218" /><ref name="zhu-p194" />。まず、上端中央に人身蛇尾(上半身が人間、下半身がとぐろを巻いた蛇)の神人が座している。ひとり神で蛇身部分が赤いことから、<s>『山海経』の燭竜と推測される</s><ref name="chen-p92">陳 (1981) p.92</ref><ref>トルファンで発掘された墓の棺を覆っていた帛画には、人身蛇尾のふたり神([[伏羲]]と[[女媧]])が描かれている。(陳 (1981) p.92)</ref><ref group="私注">天の中央に座すのはどうみても西王母に見えるので、管理人が否定しておく。西王母も人身蛇尾と考えられていたことが分かる図である。</ref>。神人の右側、赤い太陽の中には黒い鳥が、左側の三日月の中にはひき蛙が描かれている。これらは『淮南]』の「日中に踆烏(しゅんう)<ref>踆烏は本来3本足のはずだが、帛画の鳥は2本足のようである。(陳 (1981) p.92)</ref>有り、而して月中に蟾蜍(せんじょ)<ref>このひき蛙は[[嫦娥|常娥]](嫦娥、姮娥)の変身である。(陳 (1981) p.92)</ref>有り」をその通りに描いている<ref name="chen-p92" />。
太陽の下にいる[[竜]]の傍らには8個の赤い円が描かれている。これは太陽の下にいる竜の傍らには8個の赤い円が描かれている。これは[[羿]]が9個の[[太陽]]を射落とした伝説に関係すると考えられるが9個の太陽を射落とした伝説に関係すると考えられる<ref name="chen-p92" />。従って竜と絡み合う樹木は『山海経』にある[[扶桑]]であろう<ref name="chen-p92" />{{efn2|10個の太陽のうち1個は扶桑の上に、残り9個は樹下にあるとされるため、帛画の太陽は1個足りないことになる。(陳 <ref>10個の太陽のうち1個は[[扶桑]]の上に、残り9個は樹下にあるとされるため、帛画の太陽は1個足りないことになる。(陳 (1981) p.92)}}</ref>
三日月の下にいる竜の傍らには、1号墓の帛画では飛翔する女性が、3号墓の帛画では飛翔する上半身裸の男性が見られ、被葬者の昇仙図となっている<ref name="kexueyuan-1988-p402" /><ref name="huang-p218" />。
竜の下の天門(天上界と現世の境)には2人の役人<ref name="tsuruma-p169" />が向かい合って座り、その後ろの柱には[[ヒョウ|豹]]がしがみついている。これは『[[楚辞]]』の「招魂」{{efn2|が向かい合って座り、その後ろの柱には豹がしがみついている。これは『楚辞』の「招魂」<ref>楚の地に伝わる魂呼(たまよばい)の歌で、天の九重の関門にいる虎豹が、天に昇ろうとする下界の人間を噛み殺すと歌っている。「魂よ帰り来れ。君、天に昇る無れ。虎豹、九関、下人を啄害す。」}}</ref>を思わせる<ref name="chen-p93">陳 (1981) p.93</ref><ref group="私注">虎や豹は「境界神」として扱われていることが分かる。</ref>。
現世界に入り、天門直下の華蓋の上には一対の鳳凰が、下には人面の奇怪な鳥が飛んでいる<ref name="chen-p93" />。その下の左右には竜が描かれ、下の方で[[璧]]を貫き交竜になっている。その下の左右には竜が描かれ、下の方で璧を貫き交竜になっている<ref name="han-p142">韓ら (1987) p.142</ref><ref name="zhu-p194" />。その竜に挟まれる形で被葬者の出行の場面が描かれる<ref name="kexueyuan-1988-p402" />。1号墓の帛画では、曲裙の長衣を着た老婦人(被葬者)が杖をついて立ち、後ろには女性3人(腰元であろう<ref name="chen-p93" />)が従い、前に男性2人(天からの迎えの使者か<ref name="chen-p93" />)が跪いている。3号墓の帛画では、劉氏冠{{efn2|[[<ref>劉邦]]が好んで使ったとされる竹皮の冠。}}</ref>と朱の長衣をまとい、腰に帯剣した男性が袖に手を入れて歩み、周囲に9人の人物が従っている<ref name="kexueyuan-1988-p402" /><ref group="私注">2頭の交龍が[[女媧]]と[[伏羲]]ではないだろうか。</ref>。
その下にある宴の図は、被葬者を見送り、[[霊魂]]を導き昇天させる意味を持つ<ref name="huang-p218" />。あるいは被葬者が死後の世界で食事を楽しむ様子を描いている<ref name="han-p143">韓ら (1987) p.143</ref>{{efn2|[[魂魄]]は死後に分離し、魂は天上世界へ昇り、魄は地下世界の遺体に宿る。}}。料理や酒をふんだんに供えた<ref name="tsuruma-p169" />その供宴の席を、2匹の大魚(海を象徴する奇獣<ref name="kexueyuan-1990-p85">社会科学院 (1990) p.85</ref>)の上に立った裸身の力士が支え上げている。彼は『楚辞』の「招魂」にある土伯(幽都(冥界)の怪物)かもしれない<ref name="chen-p93" /><ref name="kexueyuan-1988-p402" />。彼の周囲には霊亀、[[フクロウ|鴟鴞]]などの霊鳥が描かれている<ref name="kexueyuan-1988-p402" />。これら璧から下の部分<ref name="han-p142" />は地下界を表す<ref name="kexueyuan-1988-p402" /><ref name="tsuruma-p169" />。

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