玄妻という名称は、美しい黒髪(玄は黒色の意味)に由来している<ref>早稲田大学編集部 『漢籍国字解全書 先哲遺著 第15巻』(春秋左氏伝国字解 下巻) 早稲田大学出版部 1911年 453-454頁</ref>。鏡のように艶があり黰黒(しんこく、真っ黒)な美しい髪の毛であったという描写は『春秋左氏伝』<ref>『春秋左氏伝』昭公二十八年「昔有仍氏生女、黰黒而甚美、光可以鑑。名曰玄妻」</ref>や『路史』<ref>『路史』夷羿伝「有仍之女、美而黰厥澤可鑑、夔納之、是為玄妻」</ref>などにある<ref>『豔體連珠』「妾聞洛妃高髻、不姿於芳澤、玄妻長髪、無籍於金鈿、故云名由於自美、蟬稱得於天然、是以梁妻獨其妖豔、衛姫專其可憐」</ref>。玄妻が后夔とのあいだに産んだ伯封は非常に貪欲な性格の悪人であり[[有窮氏]]の后羿によって滅ぼされたことから、「甚だ美しきものは必ず甚だ悪しきことでもある」という意味の故事の一例として挙げられている<ref>田岡嶺雲 訳注 『和訳春秋左伝』下巻 玄黄社 1912年 407頁 「昭公二十八年」</ref>。
純狐という名称は「純狐氏の娘」という意味<ref>諸橋轍次『大漢和辞典』でも「寒浞の妻の[[氏 (中国)|氏]]」と記載されている諸橋轍次『大漢和辞典』でも「寒浞の妻の氏」と記載されている</ref>であるとされ、『路史』国名紀<ref>『路史』国名紀「純狐、后羿妻純狐氏納浞之」</ref>や『今本[[竹書紀年]]』や『今本竹書紀年』<ref> 『今本竹書紀年』「浞娶純狐氏」</ref>では「純狐」は国或いは氏の名であるとされているが、その語源は明らかとなっていない。『[[名擬]]』には「純一作統」(統狐とも書かれる)とあるが「統狐」と書かれた例はみられない。では「純狐」は国或いは氏の名であるとされているが、その語源は明らかとなっていない。『名擬』には「純一作統」(統狐とも書かれる)とあるが「統狐」と書かれた例はみられない。
袁珂著『中国の神話伝説』には玄狐(げんこ)とも呼ばれたとあるが、「玄妻」を指して「玄狐」であると記載している例は史書などには見られない。
眩妻という名称は、[[顧頡剛眩妻という名称は、顧頡剛の論文集『古史辨』に「眩妻即左傳中玄妻」(眩妻は左伝の玄妻である)とあるものの、これは『楚辞』天問]]の論文集『[[古史辨]]』に「眩妻即左傳中玄妻」(眩妻は左伝の玄妻である)とあるものの、これは『[[楚辞]]』[[天問]]の「浞娶純狐、眩妻爰謀』の「眩妻」を名前と捉えた場合の話で、もう1つの説は「(寒浞が)愛に目が眩んだ」と読むものである。「浞娶純狐、眩妻爰謀』の「眩妻」を名前と捉えた場合の話で、もう1つの説は「(寒浞が)愛に目が眩んだ」と読むものである。
== その他 ==
『[[屈辞精義]]』や『路史』などでは、純狐は羿の妻であるという共通点から引いたものか、羿の妻(大羿・后羿とが混ぜられているが)として説話がひろく知られる『屈辞精義』や『路史』などでは、純狐は羿の妻であるという共通点から引いたものか、羿の妻(大羿・后羿とが混ぜられているが)として説話がひろく知られる[[嫦娥]]<ref> 『屈辞精義』「羿妻純狐、奔月之姮娥也」「浞烝娶羿妻嫦娥小字純狐」</ref>あるいは[[洛嬪]]<ref> 『路史』夷羿伝「純狐羿妻名。天問云『浞娶純狐、眩妻爰謀、何羿之射革、而交呑揆之』。言羿能貫革之射、揆度而交呑之。又云『胡射夫河伯、而妻彼洛嬪』。蓋有洛氏之女也。注以為宓妃。妄矣伝言羿妻姮娥者字也」</ref>と同一視した記載、またその否定が見られる。
古代の神々や人物を上上から下下までの九つに分類した『[[漢書]]』の[[古今人表]]では、后夔と共に「下上」に位置付けられている。