「首のみ」の神像は、多様であるが、全て同じ「一つのもの」あるいはせいぜい2,3種類のものを現しているのではないか、と考える。古代の世界の神話にはインド神話のプラウマーのように4つの顔を持つもの、日本の[[魏石鬼八面大王]]のように8つの顔を持つもの、ギリシャ神話のヒュドラーのように9頭、日本神話の八岐大蛇のように8頭といった多頭の蛇神など、複数の顔を持つ神々が正邪を問わず存在する。石峁遺跡の「前[[饕餮]]紋」も「多頭の神」と考えれば、多くの頭と顔があっても全て「同じ神」と解釈することが可能である。その場合、城塞そのものがこの神の巨大な身体、と見たてられている、ともいえるように思う。都市の住民からすれば、「前[[饕餮]]紋」と城塞は、一体となった'''都市を守るための神'''ともいえる。
人身御供の文化は[[大渓文化]]の[[城頭山遺跡]]のものが最古と思われるが、石峁遺跡では城塞建築の際のいわば「[[人柱]]」としての人身御供が登場している。古代中国では川の男性神に「花嫁」と称して人身御供を捧げる習慣があったが、「[[人柱]]」の意味は何であろうか。若い娘達が城塞とその神(前[[饕餮]]紋)に捧げられたものであれば、食料であるか、あるいは神の怒りを避けるための花嫁としての意味があったのではないだろうか。彼女達が「戦争捕虜」であったとすれば、すでに「'''敵を弱体化させるための政策として'''生贄を捧げる」という信仰心以外の、'''策謀のための殺人儀礼'''の概念も誕生していた、ということになる。興味深いことである。
=== 多様化する神像について ===
== 参考文献 ==