* 長浜城
:: 1574年(天正2年)、築城の際に城下一の美女「おかね」が人柱に選ばれ、おかねが人柱に入った辺りの堀を「おかね堀」と呼んだという伝説がある。また、漁師の娘「きく」が、人柱にされそうになった妹を庇って自ら人柱になったとの伝説も残る。
* [[丸岡城]] :[[1576年]](天正4年)、息子を[[武士]]に取り立てることを条件に人柱となったが、果たされなかった「お静」の伝説が残る。:1576年(天正4年)、息子を武士に取り立てることを条件に人柱となったが、果たされなかった「お静」の伝説が残る。* [[和歌山城]] : [[1585年]](天正13年)、築城の際に「お虎」という女性を人柱にしたという伝説がある。* [[米子城]] :: [[1591年]](天正19年)、天守の石垣工事が難航したため、米子城下に住む「おくめ」という娘が盆踊りの輪の中からさらわれて人柱にされ、米子城は別名「久米城」と呼ばれたという伝説がある。
* 美吉の猿土手
:: 現在の鳥取県米子市にある美吉では加茂川の土手が度々決壊して困っていたが、米子城で人柱を立てたところ石垣が崩れなくなったとの話を参考に人柱を立てることにした。翌朝一番に通りかかった者を人柱にすることに決まり、翌朝最初に通りかかった[[猿回し]]の男を猿とともに土手に埋めて人柱としたので、猿土手と言われるようになったとの伝説があり、付近には猿土手橋が架かっている。現在の鳥取県米子市にある美吉では加茂川の土手が度々決壊して困っていたが、米子城で人柱を立てたところ石垣が崩れなくなったとの話を参考に人柱を立てることにした。翌朝'''一番に通りかかった者を人柱にする'''ことに決まり、翌朝最初に通りかかった'''猿回しの男を猿とともに土手に埋めて'''人柱としたので、猿土手と言われるようになったとの伝説があり、付近には猿土手橋が架かっている<ref>これは元は川の猿神に対する生贄の話だったものではないだろうか。作法が類似しているように思う。</ref>。
* [[大垣城]]: [[1595年]]([[文禄]]4年)、[[天守]]を建造する際に、工事を見物していた[[山伏]]を捕らえて人柱にしたとの伝説がある。
* [[丸亀城]] : [[1597年]]([[慶長]]2年)、丸亀城築城の際に石垣の工事が難航したため、人柱にされた豆腐売りの伝説がある。