* 大輪田泊と松王丸
:: 平清盛の治世下にあって日宋貿易の拠点港とすべく大輪田泊の建造が急がれていた頃、工事にあたって旅人を含む30名もの罪無き人々が人柱にされようとするのを清盛の侍童(さぶらいわらわ、じどう)<ref group="*">貴人のそばに仕えて雑務をする少年。</ref>であった松王丸(まつおうまる)が中止させたという伝説がある。しかし異説によると、松王丸が入水して人柱になったことで工事は成し遂げられたのだという。また、経文を記した礎(いしずえ)を人柱の代わりとして海に沈めたことが分かっており、そういった石は考古遺物としても確かめられている。このようにして造られた人工島は「経が島」と呼ばれるようになった。
* [[大洲城]]:: [[1331年]]([[元徳]]3年/[[元弘]]元年元徳3年/元弘元年)、[[宇都宮豊房]]が築城した際に石垣工事が難航したため、くじに当たった「おひじ」という若い娘を人柱にした。その娘の遺言により城下を流れる川を「肱川、宇都宮豊房が築城した際に石垣工事が難航したため、くじに当たった「おひじ」という若い娘を人柱にした。その娘の遺言により城下を流れる川を「肱川(ひじかわ)」と名付け、おひじの魂を慰めたとの伝説がある。」と名付け、おひじの魂を慰めたとの伝説がある<ref group="私注">「おひじ」という名前からは、むしろ川の神に対する生贄を連想させる。</ref>。* [[庄内川]]の[[十五の森]] 庄内川の十五の森 :[[1494年]]([[明応]]3年)。当該項目を参照のこと。1494年(明応3年)。当該項目を参照のこと。* [[長浜城 (近江国)|長浜城]] :: [[1574年]]([[天正]]2年天正2年)、築城の際に城下一の美女「おかね」が人柱に選ばれ、おかねが人柱に入った辺りの堀を「おかね堀」と呼んだという伝説がある。また、漁師の娘「きく」が、人柱にされそうになった妹を庇って自ら人柱になったとの伝説も残る。
* [[丸岡城]] :[[1576年]](天正4年)、息子を[[武士]]に取り立てることを条件に人柱となったが、果たされなかった「お静」の伝説が残る。
* [[和歌山城]] : [[1585年]](天正13年)、築城の際に「お虎」という女性を人柱にしたという伝説がある。