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2,344 バイト追加 、 2022年8月8日 (月) 06:20
三重県亀山市では、月が見える軒端や井戸などの場所に供え物をした。葉や茎が付いたままのサトイモを逆さまに竹竿の先に縛り、屋根に立てかけた地域もあった<ref>[http://kameyamarekihaku.jp/sisi/MinzokuHP/jirei/bunrui8/data8-4/index8_4_2.htm 亀山市史、民族編、(四)秋と冬の行事、2 十五夜]</ref>。
 
=== 私的解説・ハイヌウェレ型神話との関連性 ===
芋名月では、サトイモを高い所に掲げて「月」と同一視する風習も、少なくとも一部の地域にはあったようである。
 
月の祭り(月見)にイモや芋団子をお供えするのは、これは「月の神'''に対して'''」収穫の一部を捧げるのであって、捧げ物を人もまた食べるのであれば、「'''人と月の神が一体となって'''」生贄であるサトイモを食べる、という意味となると思う。万物に身分があるかどうかはともかくとして、
 
 
'''月の神''' >= '''人間''' >'''サトイモ'''
 
 
という序列があり、人々は(おそらく)サトイモを授けてくれた神に対する感謝の気持ちから神にサトイモを捧げたのであろう。ハイヌウェレ型神話と比較すれば、まさに
 
 
'''サトイモ''' = '''ハイヌウェレ'''
 
 
である。一方、亀山市の民族のように、サトイモを月に見たてる、となると
 
 
('''家津御子的神''' > '''人間''' >) '''月の神''' = '''サトイモ'''
 
 
ということにならないだろうか。サトイモは上位の「月の神」と下位の「サトイモ」が混在・習合した'''矛盾した'''存在として扱われ、暗に人間にサトイモ(月の神)を授けた'''家津御子'''のような神の存在が示唆されるように思う。すなわち、'''「月の神」の地位を「家津御子」が乗っ取って、「月の神」の地位を意図的に低下させている'''ことを示唆するのではないだろうか。ハイヌウェレ型神話と比較すれば、
 
 
'''家津御子''' = '''トゥワレ(アメタ)'''、 '''サトイモ''' = '''ラビエ'''
 
 
となる。このような「月の神(おそらく女神)」の地位の低下はハイヌウェレ型神話より、サトイモが日本に到来する以前から生じていたと考えられるが、日本の国において「'''月見に芋を神に捧げる'''」という習慣が優位であるならば、「家津御子」的な概念を持ち込んで、かつ'''特に強く'''拡散を試みたのは弥生系の人々の可能性もあるように思う。
== 栽培 ==

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