沿海沿いに拡散したものは最終的に山東省に行き着き、そこから更に北や朝鮮、日本へと拡がったと考える。中原の側から見れば、山東省の神話・伝承は「東夷」の文化とみなされがちだが、中国の皇帝は泰山で封禅を行うなど、中原と山東省とのつながりは深く、双方が全く異なる民族だったとは考えにくいと感じる。父系文化が進むにつれ、中原では同姓の結婚すら忌避されるようになり、異姓との結婚が進んだ結果、氏族を中心とした部族制が消えるほど混血が進み細かな氏族・部族ではなく巨大な「漢民族」が形成されたのに対し、沿海部では兄妹婚とまでいかなくてもある程度の近親結婚が許される習慣が残り、氏族を中心とした部族制が崩壊に至らず残るなどで中原の文化との差違が生じた程度の違いだったのではないだろうか。昔の日本人が関東・東北に住む住民を居住地域の違いだけで差別して「東夷(あずまえびす)」と呼んだように、差別する側もされる側も民族的にはそれほど差がなかったのではないかと考える。よって、神話思想的にそれほどの差はなく、鳥のように空を飛んだと言われる舜と泰山府君は同起源の「同じ神」といえる程度には近い文化だったのではないだろうか。
=== 中原の蚩尤 ===「中原の蚩尤」とは、文字通り現在の中国神話で記録されている'''蚩尤'''である。[[黄帝]]と戦い破れ楓の木に変じ、大きな恨みを残したかもしれない、そういう異形の神である。これが斉の八神のうちの「兵主神」である、ということは記録されている。では、斉で中原と同じ神話が語られていたのだろうか、ということになる。少なくとも斉に比較的近い朝鮮や日本では似た神は存在するかもしれないが「[[黄帝]]」そのものが神話世界に存在しない。だから「[[黄帝]]と戦う蚩尤」も存在し得ず、朝鮮や日本では全く異なる「蚩尤」が語られていた可能性があるように思う。