そして、結局「記紀神話」を纏めた目的とは、ということになる。古代において日本の各氏族は、それぞれ独自に太陽神と月神を祖神に持つ神話を持っており、それが海部氏系の神話と賀茂氏系の神話とに、大きく分けて2系統に分かれていたのだろう。彼らは互いに似通った神話も持っているのに、祭祀に対する考え方が全く異なるので、そこから来る争いを避けるために、各氏族の「太陽神」「月神」そして賀茂氏系の氏族の外せない祖神・須佐之男を一つにまとめ、「皇祖神」という扱いにして統一した神話を残すと共に、各氏族特有の太陽神、月神、須佐之男を別の名前、別の性質の神などに変更させて残すことだったのではないか、と考える。要は'''各氏族が独自に太陽神と月神を祖神として祀ることを禁止した'''のだ。そうしないと、海部氏系の神話と賀茂氏系の神話の対立からくる政情不安がいつでも引き起こされる可能性があったからだと考える。
そして、伊勢神宮とは内宮に'''娘・天照大御神'''、外宮に'''母・豊受大神と父・月夜見尊'''を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。だから、伊勢神宮の参道の石灯籠には海部氏の[[豊受大神]]の紋である「籠目紋」が刻まれているのだと考える。暗にそこに祀られているのは「海部氏の神」であると示唆しているのである。
またこのようなことが可能となった背景には、記紀神話の編纂に関わった政府の中枢、すなわち天武天皇、持統天皇、高市皇子、藤原不比等といった人々が、伊勢神宮の体制を整える際に、海部氏に強力にてこ入れした、ということがあったのではないかと考える。[[天照大御神]]を皇祖神として採用した人々は、本音では海部氏の神話を残すべき、人身御供を求める神話は可能な限り抑制すべきと望んでいたのではないだろうか。