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=== 私的解説 ===
原則としては、「熊襲征伐」のような「従わない異民族の征伐」といえるような戦いはなかった、と考える。原則としては、「熊襲征伐」のような「従わない異民族の征伐」といえるような戦いはなかった、と考える。なぜなら「速津媛」のように名前に「速」がつくのは記紀神話の「犬神」の特徴だし、「津」がつく神は賀茂系・多氏系の神に多い。「異民族の神の名」として見れば違和感を感じる名なので、「天皇の味方の女首長」ということを強調したいから、このような名にしただけで、実在はしなかった女性だろうと考える。 また、'''市乾鹿文'''(いちふかや)と'''市鹿文'''(いちかや)の姉妹の名には「'''鹿'''」という文字がみられ、これは弥生時代に「'''弥生人'''」に広く信仰されていたと考えている「[https://bellis.sakura.ne.jp/pukiwiki2/?%E7%A5%9E%E7%A4%BE/%E9%B9%BF%E8%92%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE 鹿日](かひる)」女神あるいは「日鹿(ひか)」女神を連想させる名なので、やはり「異民族の名」としては不自然である。しかも、姉妹という設定は丹後の伝承「[[蛇頭松姫大神]]とその妹のおしも」の関係を思わせる。丹後の伝承でも姉が死んで、妹が生き残る。その点からも賀茂氏系の神話であることが想像され、この姉妹は異民族的ではない、と考える。 上記2点から推察すると、「鹿日(かひる)」女神あるいは「日鹿(ひか)」女神に対する信仰は、かなり強力に禁止されて、氣比神宮の伝承のように「女神を魚に変えて食べてしまい、他の神が主神に置き換わった」と受け取れる神話があるので、景行天皇の征討の記述は'''「異民族征討」に名を借りた「女神信仰弾圧」'''の記憶ではないかと考える。'''民族差別なのではなく、宗教弾圧で弥生人同士の内ゲバ'''といえる。
=== 日本武尊の活躍 ===
=== 建部大神 ===
日本武尊は東征の帰路、近江国造の租である'''意布多牟和気'''の娘である布多遅比売命を娶った。その後、景行天皇46年、日本武尊の死後、御子である'''建部稲依別命'''は住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現・東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に[[ヤマトタケル|日本武尊]]を「建部大神」として祀ったとされる。伝承では千草嶽には孝安天皇の御代から大国主命と事代主神が祀られており、稲依別命は建部大神たる父日本武尊を合祀した形となっている<ref>滋賀県の神社-建部神社, http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=794, date=2024-08-30, 滋賀県神社庁</ref>。建部郷の「'''建部'''」の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられているとされる。
=== 孝霊山 ===
=== 磐鹿六鴈 ===
日本武尊を忍ぶ東国巡幸中のことである。上総国から淡水門を渡るときにミサゴの声が聞こえたので、天皇はその姿を見ようと海の中に入った。そして白蛤(うむぎ)を得た。磐鹿六鴈(いわかむつかり)という者がすかさず、その白蛤を膾にして蒲の葉に乗せて献上した。天皇はこれを誉めて膳大伴部(かしわでのおおともべ)、つまり御食を供する機関を与えた。磐鹿六鴈は今でも「料理の祖神」として高家神社(千葉県南房総市)や高椅神社(栃木県小山市)などで祭られている。『高橋氏文』逸文にはさらに詳しい話が残る。
 
==== 私的解説 ====
興味深いものについて、いくつか考察する。
* '''立太子''':「親の後を継ぐのに、誰が財産と権威を受け継ぐか」という神話が元にあって、それを変形させたものと考える。財産を受け取ったのが'''五十瓊敷命'''、権威を受け取ったのが景行天皇ということになろうか。長男が王権を譲る例としては、兄が祭祀権を得、弟に王権を譲ったという綏靖天皇の即位に関する神話がある。五十瓊敷命は、この後、「石上神宮の創設」と「岐阜(美濃)にての悲劇的な死去」の2点で割と重要な役割を神話の中で果たす。最初の逸話は、そうとは描かれないけれども、五十瓊敷命が事実上'''物部氏の祖神扱い'''であると同時に、石上神宮が皇室の意向で創設された、という神宮の正統性を示す役割を果たす。後者は、物部氏が美濃あるいは更にそれよりも東に勢力があったことを示唆する伝承といえる。ただ、名前に「五十(いそ)」がつく点は賀茂氏・多氏系の神の名に多いので、状況次第では「石上神宮は賀茂氏が創設した神社なので、祭祀権を賀茂氏系に渡せ」と言う口実になりかねない要素もやや含むと考える。五十瓊敷命は、さまざまな氏族の思惑の上に成立した神であろう。余談だが、主要な神社の祭祀の主導を巡って、賀茂氏・多氏系と物部氏系の争いで、最も有名なのは諏訪大社であると考える。諏訪大社の上社(物部氏系)と下社(金刺氏・多氏系)は平安末期にはよくよく仲が悪く、中世の間ずっと仲が悪く、戦国時代に入ると両者の対立が先鋭化して上社が下社を攻め滅ぼすというローカルの大騒動に発展する。そして、その報復のように上社も武田に滅ぼされてしまう。古代から中世にかけての「祭祀権」というのは家の存亡や人命をかける価値があるほど重要なものだったのである。
* '''踏石の誓約''':石とは「死体の象徴」でもあるので、誰かを生贄にして勝利した、という伝承が元はあったと思われる。それを変形させたのであろう。「志我神、直入物部神、直入中臣神」とは「'''鹿神、物部氏の神、中臣氏の神'''」ということであろうか。「'''鹿神'''」とはとは「鹿日女神」のことと思われる。「鹿の神」を倒すのに「鹿神」に祈願する、というのはおかしな話なので、物部氏・中臣氏に伝わる'''「誰かが鹿神や物部氏等の神に勝利を祈願した」という伝承が景行天皇に結びつけられ'''たものと考える。生贄の話を忌避するために改変したのも、物部氏系の氏族ではないだろうか。また彼らが鹿の太陽女神を尊重していたことが窺える神話でもある。
== 考証 ==
== 関連項目 ==
* [https://bellis.sakura.ne.jp/pukiwiki2/?%E7%A5%9E%E7%A4%BE/%E5%85%AB%E5%A5%B3%E6%B4%A5%E5%AA%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE 八女津媛神社]
* [[渋谷向山古墳]] - 現景行天皇陵。
* [[大宮神社 (山鹿市)|大宮神社]] - 祭神に景行天皇を祀り、[[熊本県]][[山鹿市]]に鎮座する。
* [[山鹿灯籠まつり]] - 山鹿市で開催される天皇の巡幸を起源とする祭
* [https://bellis.sakura.ne.jp/pukiwiki2/?%E7%A5%9E%E7%A4%BE/%E5%BF%97%E3%80%85%E4%BC%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE 志々伎神社]:長崎県平戸市野子町。表向きは日本武尊の王子・十城別王(とおきわけのみこと)を祭神とする神社。
== 外部リンク ==
[[Category:日本神話]]
[[Category:祝融型神]]
[[Category:作業中]]

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