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また、吉田敦彦はマロ踊りについて、ニューギニアのマヨ祭を、マロ踊りの具現のように挙げて比較研究している。「マヨ母」と定義された若い女性を村の男達が祭りで陵辱して殺して食べてしまうというものである。豊穣を願う祭祀ではあるけれども、現代の感覚から言えば凄惨さが際立つ。「マヨ」と言ったら、子音から見てすぐにギリシア神話の「'''メーティス'''」が思い浮かぶ。ゼウスが妻のメーティスを食べてしまったように、太陽神トゥワレの化身の男達がマヨ母を殺して、もしかしたら昔は「焼いて」食べてしまったかもしれない、と思う。印欧語族には寡婦殉死と言って、夫が亡くなったら妻を殺す(だいたい焼き殺す)祭祀があったはず。インドでサティと呼ばれる習慣である。「マヨ」は、印欧語族とオーストロネシア語族に「共通した祭祀」であって、元々太陽神「'''饕餮'''」あるいはその'''化身の男達'''が、[[女媧]]に見立てた女神を焼いて食べてしまい、彼女の財産と権利を奪う祭祀だったのではないか、と思う。それがニューギニア、インド、ギリシアなどに分かれて、豊穣を求める祭祀になったり、葬儀の際の習慣になったり、神話に残っていたりするのだろう。起源は良渚文化あるいはその直前の文化あたりと思われる。河姆渡系の文化では女神をそのように粗略に扱ったりしないと思われるので。
イェンゼンが「鋳物栽培は古いのか古くないのか」で混乱してしまって、サテネというのは、自分(印欧語族)のとこの寡婦殉死の女神サティのこと、ギリシア神話でせいぜいセメレーのこと、って言わない時点で「鋭い分析」という言葉の定義ってなに? と思ってしまうわけですが。イェンゼンが「芋栽培は古いのか古くないのか」で混乱してしまって、サテネというのは、自分(印欧語族)のとこの寡婦殉死の女神サティのこと、ギリシア神話でせいぜいセメレーのこと、って言わない時点で「鋭い分析」という言葉の定義ってなに? と思ってしまうわけですが。
吉田がオオゲツヒメと比較することは正しいと思います。でも、穀物に化生したオオゲツヒメの方が、古い形式の神話なのです。日本人の学者なら、そこを指摘して欲しかったな、と思います。あとは「マヨ」なんて、せいぜいが下諏訪の「御船祭」とか。よそでやっている凄惨な祭祀より、自分の国でやっている'''精神的に'''凄惨な祭祀にもっと目をむけてくれても良かったかな、と思います。

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