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9.父兄の黎明期の文化は[[良渚文化]]である。[[良渚文化]]では、雷神と獣面紋が主たる神として祀られていた。いずれも男性形の神である。良渚文化の早期は副葬品から女性が優位だったと考えられている。また「[[共工]]」という神話的概念が生まれていたようだ。
「[[共工]]」という概念があったとすれば、それと対立する[[祝融]]、[[禹]]といった概念もあったと想像する。女性が優位で母系的であった頃の良渚文化は、女性の祭祀者兼首長が、雷神、獣面神、共工をある程度並べて祀っていたと思われる。女性首長自身が単なる祭祀者だったのか、太陽女神の代理人といった女神的地位にあったのかは定かではない。そして、首長が女性であっても、男性の神々を主に祀っていたのなら、神々と信仰の世界では「父系化」がすでに始まり、進んでいた状態といえはしないだろうか。といった概念もあったと想像する。女性が優位で母系的であった頃の良渚文化は、女性の祭祀者兼首長が、雷神、獣面神、共工をある程度並べて祀っていたと思われる。良渚文化では玉蝉がみられ、このセミが女性首長自身の太陽女神性を表彰していたと考える。セミは神話的に「生と死の再生の象徴」と思われるので、良渚の太陽女神は「生と死の循環を行う女神」と考えられたのだろう。夫に騙され殺された太陽女王がその原型と考える。首長が太陽女神の代理人である女性であっても、男性の神々を主に祀っていたのなら、神々と信仰の世界では「父系化」がすでに始まり、進んでいた状態といえはしないだろうか。
共工は「良き神」として祀られていたとしても、現在伝わる中国神話から察するに、蛇神だったり水神だったりすると想像する。いわゆる「[[黄帝型神]]」である。[[祝融]]は天から火を降らせた火神だ、という神話がある。日本では古来より「火雷神」として火の神と雷の神が一体であるという概念がある。天から火を降らせる、という性質からして祝融には雷で火事を起こす雷神としての性質が含まれてもおかしくはない。鳥雷神、特に雄鶏雷神は古代の長江流域に見られる思想であり、[[良渚文化]]よりも古い[[河姆渡文化]]からは二羽の雄鶏が太陽を支える図が出土している。よって、良渚文化で信仰されていたのは
* [[禹]]に相当する獣面神
* [[共工]]に相当する水神
だったのではないだろうか。母系が優位の時代には彼らは雷神を頂点としながらもある程度は並び立っていたのだが、時代が下り父系が優位となると、まず女性首長が潜在的に担っていた「太陽女神」としての地位は男性首長が「太陽神」となるように変更されたことと思う。彼らの開祖的な先祖とみなされるだったのではないだろうか。母系が優位の時代には彼らは雷神を頂点としながらもある程度は並び立っていた。禹は異形の獣神として現され、月神や樹木神だった可能性はある。 時代が下り父系が優位となると、まず女性首長が担っていた「太陽女神」としての地位は男性首長が「太陽神」となるように変更されたことと思う。彼らの開祖的な先祖とみなされる[[禹]]は、初代の王であり、太陽神とされたのではないか。は初代の王であり、単なる獣神あるいは月神・樹木神から、太陽神へと変更されたのではないか。[[禹]]の地位が単独で上昇するにつれて、水神としての[[共工]]の地位は低下し、後に中国神話で悪神とされるように、「悪い神」へと変更されてしまったと考える。共同体の中で「の地位は低下し、後に中国神話で悪神とされるように、「悪い神」へと変更されてしまったと考える。[[禹]]を強き神とするためのスケープゴートである。共同体の中で「[[共工]]」を神として指示する人々が女神信仰を指示ししてもいたので、彼らとその神」を神として指示する人々が女神信仰も指示していたので、太陽女神と[[共工]]の地位が低下するにつれて母系優位の文化や女神信仰も衰退してしまったと思われる。そして父系の文化は竜山文化へと確立してゆく。の地位が変更され低下するにつれて母系優位の文化も衰退してしまったと思われる。そして財産権・相続権を有するのは太陽神に代表される「男性」だとして、父系の文化は竜山文化へと確立してゆく。
だから、[[禹]]の起源は黄河文明ではなく長江文明であって、治めた川は黄河ではなくて、本当は長江のことだったのではないか、と考える。良渚文化の玉器に複数の獣面が掘られたものがあるが、それは「太陽が複数あった」という[[羿]]神話を彷彿とさせる感がある。

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