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=== 影響について ===
日本国内における「ローマ教」の影響について、当初期はやはりヨーロッパと同じく「'''女神信仰の弾圧'''」と考える。福岡県久留米市にある高良大社には境内外に「朝妻社」と呼ばれた'''味水御井神社'''(うましみずみいじんじゃ)という水女神を祀る神社がある。ここには、古くは水神女神が北斗女神としても祀られていた形跡があり、管理人であれば、この女神が本来の高良山の女神であり、高良大社の祭神でもあった、と考えるところである。紀州の高野山の[[丹生都比売神]]に類する物部氏系の女神で、'''田布都姫'''と言ったかもしれない、とすら思う。ともかく格式の高い北斗女神が固有名詞を失って、単なる末社の女神に格下げされてしまった背景には、大きな思想的変動があると考える。それは西欧社会でローマ・カトリックが行ってきた女神信仰弾圧と同じものなのではないだろうか。
 
=== 何をローマ・カトリックと呼んだのだろう ===
これが最大の問題である、と管理人は考える。
 
なぜなら、もっと後の時代になって、仏教というものが日本に入ってきたが、日本人は閉鎖的な社会の中で、数百年かけて、これを「'''修行して死んだら天狗になる'''」というような、修験道的仏教に変貌させてしまった例があるからである。例えば、ローマからでも、どこからでも良いが
 
「キリストというありがたい神様がいます。」
 
という思想が入ってきたときに、
 
「はい、そうですか。」
 
と、それを'''素直'''に、受け取ったり、あるいは拒否したりしただろうか。とりあえず受け取っておいて、'''変なものに勝手に作り替えていないだろうか'''、後の仏教のように、と思うのである。なぜなら、日本ではローマ・カトリックの影響と思われる「女神信仰の弾圧」はあったと思われるが、結局全体的には女神信仰は残ったし、一神教への神々の統一もなかったからである。
== 関連項目 ==

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