「'''我々の神とあなたがたの神は同じである。'''」と述べるのが容易なのは、古代のヨーロッパはどこでも印欧語族的な多神教を信じていたからで、神々の機能、構成がみな似通っていたからこそできることである。しかし、ヨーロッパから遠く離れた東洋では、この理論がまず通用しにくくなる。中国でも日本でもそうだが、遠い先祖は神として祀る、近い先祖は神ではないけれども供養して祀る、何かの災害の犠牲者も慰撫するために祀る、地域の偉人は死後もその偉大さにあやかったり称えたりするために神とされたりする等々の傾向があり、そもそも「祀られる対象の幅が広く際限なく増える」、かつ「祀られる対象が神とされていることもあるし、神とされていなくても祀られることがある。彼らの境界の定義も曖昧である。」ということになる。時代が下って、宗教というものがはっきりしてくると、精神的・教義的な概念も神として扱われるようになってくる。そのため、東アジアの「多神教」ほど混沌として収集がつかなくなってくるもののように感じられる。とても西洋的な「多神教」の概念では網羅しきれない要素があったのではないだろうか。
=== 影響について ===
日本国内における「ローマ教」の影響について、当初期はやはりヨーロッパと同じく「'''女神信仰の弾圧'''」と考える。福岡県久留米市にある高良大社には境内外に「朝妻社」と呼ばれた'''味水御井神社'''(うましみずみいじんじゃ)という水女神を祀る神社がある。ここには、古くは水神女神が北斗女神としても祀られていた形跡があり、管理人であれば、この女神が本来の高良山の女神であり、高良大社の祭神でもあった、と考えるところである。紀州の高野山の[[丹生都比売神]]に類する物部氏系の女神で、'''田布都姫'''と言ったかもしれない、とすら思う。ともかく格式の高い北斗女神が固有名詞を失って、単なる末社の女神に格下げされてしまった背景には、大きな思想的変動があると考える。それは西欧社会でローマ・カトリックが行ってきた女神信仰弾圧と同じものなのではないだろうか。
== 関連項目 ==