これについては「星の池」の霊性に理由がある。出雲では「'''池の清濁によって吉凶が占われた'''」とあるが、丹後よりも東では「'''雨乞いの際に池の底をつついて水を濁す'''」という祭祀が目立つ。これは、池を女神に見立てた、一種の「聖婚儀礼(ヒエロス・ガモス)」と考える。池を女神として、そこを竿でつついて「水を濁す」というのは男女の交わりを指すのではないだろうか。とすれば「'''池の清濁'''」に関する祭祀や思想は広く「池の神が'''女神'''である。」という暗黙の了解の上に成り立っているものと解せるのではないか。ともかく「池の水が濁る」とは、良くも悪くも「水が多くなる」兆候のようである。
丹後であれば、このような池には「天女」たちが降りてくる、という伝承がありそうである。出雲では「星神」が降りてくる、とされている。これは丹後における「'''天女'''」とは、出雲における'''北斗女神達'''のことを指す、といえるのではないか。
== 参考文献 ==