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2 バイト追加 、 2025年1月4日 (土)
* 会津県主:石背国に属した会津郡には会津県主があったという説もあるが中世史料によるもので実在が疑わしい<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E5%A4%AB%E5%9B%BD%E9%80%A0 信夫国造](最終閲覧日:25-01-02)</ref>。会津郡の神社は、伊佐'''須美'''神社(いさすみじんじゃ)であう。福島県大沼郡会津美里町宮林。陸奥国二宮。会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である<ref>伊佐須美神社(平凡社) & 1993年</ref>。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が国家鎮護神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。現在の祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと、武渟川別)。『延喜式』神名帳では祭神を1座とする<ref>伊佐須美神社(式内社) & 1986年.</ref><ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BD%90%E9%A0%88%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE 伊佐須美神社](最終閲覧日:25-01-02)</ref>。多氏系。
==== 私的考察 ====
伊佐須美神社の、「須美」とは「墨」のことなのではないだろうか。縣主に関連すると思われる神社の祭神には「黒」とか「墨」という言葉が名前につくことが多いように感じる。「建沼河別命」という名前は「神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)(綏靖天皇)」と名前が似ているように感じる。おそらく古代においては、多氏系の氏族が当地を開拓し、祖神兼祭神として「神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)(綏靖天皇)」を祀っていたものが、時代が下って「建沼河別命」を祀るようになったものなのではないだろうか。よって、この神社は多氏系の神社と考える。
余談的だが、建沼河別命の父神を大毘古命とすれば、大毘古命こそが綏靖天皇に相当するといえる。大毘古命を[[八束水臣津野命]]とすれば、

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