8.しかし、王が両親を殺して王位を簒奪したというのは外聞が悪い。そこで、「河が反乱を起こしたので、女王と姫補佐官は河の神の怒りを収めるため、洪水を収めるために生け贄にせざるを得なかった。彼らが河と嵐の神を鎮めたのだから、今度は'''姫補佐官を河の神として祀ることとしよう'''。そして'''河の神が怒らないように人身御供を捧げよう'''。女王は太陽女神だったのだから、死後は'''月の女神'''となって人々を見守っている、と言うことにしよう。」とすることにした。最初のうちは一応姉妹の中から女王を立てて、姜王子はその補佐官である、という体裁を採り、すぐに「両親を生け贄にした新女王は悪者だ。」と言いがかりをつけて新女王を廃し、姜王子自身が王位に就いた。姜王子は親殺しではない。'''親殺しは姉妹の方'''で、姜王子は人々のためにやむなく両親を犠牲にされた可哀想な王、ということになった。少なくとも表向きは。「'''女みたいな悪者を王位に就けてはいけない。'''」という屁理屈ができた。そして、以後家というものは「男が次ぐ。女は財産を持ってはならない。」と定めた。そうすれば、自分が即位したり、母親や姉妹の命や財産を奪ったことを正当化することができると考えたのだ。財産とは悪い女が持っていてはならないものなのだから。姜王子が「自分は火の神・祝融の化身である。太陽神でもある。」と述べて'''人身御供を行う古い祭祀を復活させた'''りしたので、中国ではまた人を食べるようになった。いやだ、なんて言ったら姜王子に殺されてしまう、と誰もが知っていた。
9.ともかく親の姫補佐官が「'''食人は禁止。祭祀における人身御供は禁止。'''」としたので、人身御供や食人を行うにはそれなりの理由が必要だと説明せねばならない。一つには、食人と祭祀を切り離して、祭祀の方は「'''殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。'''」という方便が考え出された。「土神(姫補佐官)に捧げた人身御供は稲や作物を生やさせるためのものである。'''死体から生えた食物を食べるのだから食人ではない。土神(姫補佐官)に人身御供を捧げて食物や桑が生まれるのだから、'''人身御供は食物となる植物や蚕の親人身御供は食物となる'''である。植物や蚕の親'''」とされた。この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、補佐官が地(方)」という考え方が強かったのだ。姫補佐官はである。」とされた。この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、補佐官が地(方)」という考え方が強かったのだ。姫補佐官は'''水神'''と'''土神'''とされた。食人は祭祀を離れ特別な日のごちそうとされるようになった。
10.しかし、後に姜氏族は「火と太陽の神を祀る一族」であることにちなんで、「'''炎帝'''」という神がかつて存在したと言うようになった。「炎帝」とは姫青年に殺された'''饕餮補佐官を「理想の帝」とみなしモデルにしたもの'''である。そうして、まず'''土神の性質が姫補佐官神から取り上げられ、炎帝に移された'''。農耕は炎帝が発明したものとされるようになり、'''農耕に関する祭祀は炎帝のものとされるようになった'''。こうして農耕や養蚕に関する祭祀は、人々のための神であった土神(姫補佐官)から姜氏族の炎帝のものとなり、祭祀に伴うお布施は姜氏族が独占できるようになった。こうなると'''土神、植物神、蚕神としての姫補佐官は消してしまわなければならない'''ので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。「王室の先祖である姫補佐官に失礼だ」ということになり、後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供としてどんどん殺されることとなった。