屈辱を受けたダーネがアモールに呼びかけると、アモールはナルキッソスを呪った。詩的な正義の典型例で、ナルキッソスは自分が他人に与えたのと同じ痛み、すなわち報われない愛の痛みに苦しむことを余儀なくされるのである<ref name="Dwyer"/>。その正義の手段が水槽であり、そこに映る自分の姿に恋をしたナルキッソスが、最初は自分を女性と間違えてしまうのである<ref name="Harrison"/>。欲望にかられたダーネは、マントを羽織っただけの裸のナルキッソスを探し、死の間際の彼を見つけた。打ちひしがれて、ダーネはアモールに呼びかけたことを悔やんだ<ref name="Dwyer"/>。ダーネは最後に愛を示し、最愛の人に寄り添い、ナルキッソスは彼女の腕の中で息を引き取った。詩人は、男女を問わず、求婚者を軽んじてはいけない、自分も同じような運命をたどらないようにと警告している<ref name="Harrison 2">Harrison, ''Echo and her Medieval Sister'', 327</ref>。
オイディウスの物語は今でも知られているが、細部の多くはかなり変化している。異教の神々への言及は、愛の擬人化に過ぎないアモールを除いて、ほとんどすべてなくなっている。ナルキッソスは平民の身分に降格され、エーコーは王女の身分に昇格している。ナルキッソスが同性愛者であることを示唆する記述は削除されている。オイディウスがナルキッソスは男女の求愛を軽蔑していると語るのに対し、『詩』は女性への憎悪にしか触れていない。同様に、『詩』では、ナルキッソスは自分の姿を女性の姿と間違えているが、オイディウスの記述ではそのことには触れられていない。最後に、この物語は、宮廷の愛についての物語として、あからさまに道徳化されている。 While Ovid's story is still recognisable, many of the details have changed considerably. Almost all references to pagan deities are gone, save Amor who is little more than a personification of love. Narcissus is demoted to the status of a commoner while Echo is elevated to the status of princess. Allusions to Narcissus’ homosexuality are expunged. While Ovid talks of Narcissus' disdain for both male and female suitors, the ''Lay'' only mentions his hatred of women. Similarly, in the ''Lay'', Narcissus mistakes his reflection for that of a woman, whereas no mention is made of this in Ovid's account. Finally, the tale is overtly moralized with messages about [[courtly love]]. Such exhortations were entirely absent from the ''Metamorphoses'' rendition.オイディウスの物語は今でも知られているが、細部の多くはかなり変化している。異教の神々への言及は、愛の擬人化に過ぎないアモールを除いて、ほとんどすべてなくなっている。ナルキッソスは平民の身分に降格され、エーコーは王女の身分に昇格している。ナルキッソスが同性愛者であることを示唆する記述は削除されている。オイディウスがナルキッソスは男女の求愛を軽蔑していると語るのに対し、『詩』は女性への憎悪にしか触れていない。同様に、『詩』では、ナルキッソスは自分の姿を女性の姿と間違えているが、オイディウスの記述ではそのことには触れられていない。最後に、この物語は、宮廷の愛についての物語として、あからさまに道徳化されている。メタモルフォーゼの表現には、そのような警句は全くない<ref name="Harrison 2"/>。
===''The Romance of the Rose''===