嫦娥
伝説
『淮南子』覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月]](月宮殿)に逃げ、蟾蜍(ヒキガエル)[1]になったと伝えられる(嫦娥奔月)。
別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えている。
『淮南子外八篇』によると、后羿が狩りの最中に月桂樹の下で嫦娥と出会ったという。
『楚辞』天問では虹を切り開き衣服と為したとされる。
道教では、嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」さらに「月宮黄華素曜元精聖后太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、中秋節に祀っている。
「姮娥」が本来の表記であったが、前漢の文帝の名が「恒」であるため、字形のよく似た「姮」を避諱して「嫦」を用いるようになった。のちに旁の「常」の影響を受けて読みも「じょうが」(に対応する中国語での発音)に変化した。
民間伝承
海南島などでは、8月15日(中秋節)の晩に少女たちが水をはった器の中に針を入れて嫦娥(月娘)に自分の運命の吉凶を示してもらう、という習俗があった。針がすっかり沈んでしまって少しも浮かばないと運命は凶であるという[2]。
嫦娥という単語の使用例
嫦娥という単語は「月の女神」あるいは「天女」という語義で使用されることもある。アメリカで出版されたウィリアム・スウィントン(William Swinton)による英語のリーダー『Swinton's Fifth Reader and Speaker』(1883年)では同書の17章にあたる「The Moon-Maiden」[3]で、日本の駿河国(静岡県)を舞台として羽衣をもつ仙女を登場させ、それを「Moon-Maiden」の単語を用いて表現しているが、それを邦訳した『スウヰントン氏第五読本直訳』(1889年)では、「Moon-Maiden」をすべて「嫦娥」と翻訳している[4]。