龍船祭

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龍船祭(りゅうせんせつ)とは、中国貴州省東南部に位置する台江県および施秉県を流れる清水江流域において、主にミャオ族の人々によって伝承されてきた伝統的な水上行事である。ミャオ語(黔東方言)では「qab niangx vongx(哈仰勇)」と称され、当地域の代表的な歳時儀礼のひとつに数えられる。

この祭礼は、旧暦5月5日または同月24日から27日頃にかけての5日間にわたり開催されるのが通例であり、清水江流域に点在するミャオ族の村落が交代で主催する形式をとる。中心となる地域は、特に台江県施洞鎮周辺である。

各家庭には、大木を刳り貫いて製作された伝統的な「龍船(ドラゴンボート)」が保有されており、それは単なる交通手段を超えて、家族や村の誇りの象徴ともなっている。競漕に用いられる龍船は、しばしば独自の装飾や彫刻が施され、祭礼期間中は川面を彩る重要な文化資源となる。

龍船競漕の風習そのものは、本来、湖南省洞庭湖周辺に端を発したとされており、ミャオ族の移動や定住の歴史とともに、元江や清水江などの支流域へと波及・定着していったと考えられている。

文献資料

古典文献としては、六朝期の地誌『荊楚歳時記』に「五月五日、競渡あり。俗に屈原が汨羅江に身を投じたことを悼むため」と記されており、漢族社会における端午節との関連が示唆されている。しかし、ミャオ族における龍船節は、これとは異なる土着的な意義を持っており、主に農耕儀礼や祖霊信仰と結びついている点が特徴である。

施洞地域では、龍船節が端午節および田植えの終了時期と重なることが多く、なかでも旧暦5月25日前後に集中的に開催される例が多く見られる。これは、田植えの完了に感謝し、その後の農作物の順調な生育と風雨の調和(風調雨順)を祈願する意図が込められており、年中行事の一環として、農耕儀礼的な意味合いを色濃く帯びている。

概要

ドラゴンボートレースは、中国の端午の節句の習俗の一つであり、端午の節句で最も重要な民俗活動の一つでもある。中国の南方地域では広く見られ、北方の河川や湖に近い都市にもドラゴンボートレースの習俗があるが、その多くは旱地でドラゴンボートを漕ぎ、龍船を舞う形式である。

ドラゴンボートレースの起源については、曹娥を祭る、屈原を祭る、水神や龍神を祭るなどの祭祀活動に由来するという複数の説があり、その起源は戦国時代まで遡ることができる。ドラゴンボートレースはその後、隣国の日本、ベトナム、イギリスなどに伝わり、2010年広州アジア競技大会 の正式競技種目となった。

屈原よりもはるか以前から、沅陵には既に竜舟があった。沅陵の竜舟は遠古に起源を持ち、祭祀の対象は五溪の諸民族に共通の始祖である盤瓠である。盤瓠はかつて沅陵の半溪の石穴に住み着き、六人の息子と六人の娘をもうけ、子供たちは互いに婚姻し、ミャオ族、ヤオ族、トン族、トゥ族、シェ族、リー族の六つの民族へと繁栄した。盤瓠が死んだ後、六族の民は巫を招いて神を請い、彼の魂を招いた。沅陵は山が多く水が複雑なため、巫師は彼の魂がどこに落ちたか分からず、各民族に一隻ずつ竜舟を作らせ、溪や河を一つ一つ捜し回って呼びかけさせた。これが後に、船を漕いで魂を招く祭巫活動へと発展した。

一般的な祭祀

ドラゴンボートレースの前に、まず龍を招き、神を祀る。例えば広東の龍舟は、端午節前に水中から引き上げ、南海神廟に祀られている南海神に祀った後、龍頭と龍尾を取り付け、競渡の準備をする。また、一対の紙製の小さい雄鶏を龍船に置き、船の安全を守ると考える。福建省と台湾では、媽祖廟で参拝する。川辺で直接龍頭を祀り、鶏を殺してその血を龍頭の上に滴らせる地区もある。例えば、四川、貴州などの一部の地域である。

ドラゴンボートレースの前には、様々な祭祀や記念の儀式が行われる。一般的に、線香やろうそくを灯し、紙銭を焼き、鶏、米、肉、供え物の果物、ちまきなどを供えた。現在では、これらの儀式はほとんど見られないが、かつて人々が龍神廟を祀る際の雰囲気は厳粛で、農業の豊作風雨の順調邪気払い、災厄の除去、万事順調などを祈願し、また船漕ぎの安全も祈った。人々の言葉で言えば、「縁起を担ぐ」ことであり、人々の心の中の良き願いを表している[1]

ミャオ族起原1・龍を食す

昔、クーポゥ(固保、保公)という老人がいて、その子をチュウポウ(Jux Pod、久保)といった。ある日、チュウポウは川で魚を釣っていて、川に引き込まれてしまった。保公がこのことを悲しみ、刀(砍牛刀)を取って龍潭に行き、深い淵に入ると大きな洞窟があり、大きな龍が息子を殺して枕にして横たわっているのを発見した。保公は復讐心を抱き、龍の眼が覚めないようにして、近くの柴草を集めて火打石を使い煙草盆で火をつけた(一説では豚の膀胱の中でつけた)。火はたちまち燃え広がって、大火となり三日三夜続いた。その煙は周囲に広がり、叫び声が山岳を震わして、天は暗闇に包まれた。この頃、清水江畔にノンシェン(Niongx Xenb、儂星)という娘がいて、彼女が朝早く水を汲みに川岸に降りてみると、巨大な怪物が流れ着いているのを発見した。急いで家に帰って母親と村人たちに告げて、ゲリュウ(Gheut Liued.、業公)に占わせると、焼け死んだ龍であるとわかった。この日は、五月五日であり、四ヶ所の村人で龍の肉を分けることとなった。各村は毎年この日を記念して龍船を漕ぐこととなった[2]

煙で曇った空を晴らすのに女性が「トントンカ」と呪文を唱えた、などのエピソードを伴うバージョンがある。

私的解説

「龍が殺される原因」はとりあえずおいておいて、この伝承での「龍」には少なくとも2重性があるといえる。それは「雄」と「雌」の両方が含まれるのではないか、ということである。もっといえば、神話的に「亡くなった」とされる人物、「非太昊型神」「太昊型神」「燃やされた女神」をみんな纏めて「龍神」にして殺してしまったのだが、殺したクーポゥとは、中国神話の河伯、台湾ルカイ族伝承の洪水を起こす能力と鎮める能力の双方を持つ「スアブ」に名・性質共に類する神と考える。いわば広く太昊型神なのだが、一見するとそれぞれの伝承で性質はかなり異なる。

おそらく、この伝承の起原は「洪水神話」に関するもので、これに関して「殺された神々」を一つにまとめたものが「龍神」と考える。そして「殺した神」の方がクーポゥにまとめられてしまっているのである。特徴は「妻争い」譚からおそらく派生した話で、「太昊型神の父が殺されて、生まれ変わりの息子の方が、前世の自分の仇を討った」という話の「前世」と「後世」を入れ替えてしまっている点、と考える。元の話ではチュウポウの方が「父親(前世)」で、クーポゥの方が「息子(後世)」だったと考える。バロン・ダロン神話と比較すれば、チュウポウがアペ・コペン、クーポゥがバロン、「龍神」が雷公ということになるだろう。でも名前の点では、クーポゥがアペ・コペンに相当すると考える。

妻争い」譚という観点からは、中国神話と比較すれば、クーポゥが羿、龍神が河伯といえる。でも、名前の点ではクーポゥが「河伯」となるのではないだろうか。

参考文献

関連項目

  • 媽祖:龍船祭には「溺れ死んだ人を慰撫する」という性質があるようである。
    • 女娃:東海で溺れ死んだ、とされる女神。
  • 河伯:元は溺れ死んだ人間といわれている。クーポゥ(保公)と同語源の言葉ではないだろうか。
    • 夸父:こちらもクーポゥ(保公)と同語源の言葉と考える。
    • アペ・コペン:同じミャオ族に伝わる洪水神話の父神である。クーポゥ(保公)と同語源の言葉と考える。

参照

  1. 赛龙舟的由来 . 华夏经纬网 . 2009-05-27 . [2013-08-19]
  2. p186