洪水神話・中国
ミャオ族のものを中心にした中国の・女媧型神話洪水神話が興味深いので、起源が古いと思う順に並べてみたい。
日本[編集]
じじ穴とばば穴[編集]
下諏訪町の上水道池付近にじじ穴とばば穴と呼ばれる古墳がある。むかし、火の雨が降ったとき、この二つの穴に逃げ込んだ人だけが助かったという。今の下諏訪の人々は、この二つの穴に逃げ込んだ人たちの子孫だといわれている(信州の民話伝説集成南信編p44)。
広瀬大社・すなかけ祭[編集]
広瀬大社とは、奈良県北葛城郡河合町川合にある神社。祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、櫛玉命(くしたまのみこと)(饒速日命のこと)、穂雷命(ほのいかづちのみこと)である。社家の樋口氏は物部氏の末裔とのこと。若宇加能売命(わかうかのめのみこと) は豊宇気比売大神、宇加之御魂神と同神とされている。
祭典日は2月11日。午前の「殿上の儀」、午後の「庭上の儀」の2部に分かれている。「殿上の儀」では神社の屋内で田植えの所作を行って奉仕する。
「庭上の儀」は、拝殿前に青竹を4本立て、注連縄を張り巡らして田圃に見立てる。太鼓の合図で田人(白い衣装)と牛(黒い衣装)が出て田植えの所作をした後、参拝者に砂を掛ける。それに対し参拝者が砂を掛け返し、この砂の掛け合いは1回5分程度で8回繰り返される。砂は雨になぞらえられ掛け合いが盛んであるほどこの年はよく雨が降り豊作となる、と言われている。また、降り注ぐ砂にかかると厄除けになると伝えられている。この後、早乙女が登場し田植えを行うと庭上の儀は終了する。
最後に参拝者へ松苗と田餅が撒かれる。松苗は松の葉で作られ中に籾種が2・3粒入っており藁で巻かれている。これは田の水口(水の取り入れ口)に刺すと悪病、害虫、悪水などから田を守ります。また家の玄関口に刺しておくと住居を厄災から護るのお守りともなう。田餅は、これを食べると無病息災で一年が過ごせる。
広瀬大社の砂かけ祭は、昔の田作りの模範田植えであり、砂を雨に見立てて雨水の恵みを乞い、農耕作業が順調に進み五穀豊穣を祈願するところに特徴がある、とのことだ[1]。
朝鮮[編集]
満族神話「天池」[編集]
白頭山が噴火した時、火魔人が全てを焼き尽くしていた。
そこに、日吉納という娘が天鵞を駆って天帝を訪ね、火魔人をたおす方法を聞いた。
彼女は天帝からもらった氷塊を持って白頭山にいき、噴火口に飛び込んで、火魔人の腹の中に潜り込んだ。
すると天は崩れ、地は裂け、大音響が満天に轟いた。
その後、煙は止み、火は鎮まって、ようやく山はもとの姿を取り戻した。
そして火魔人の噴火口は大きな湖に変じた。後の人々はこれを天池と呼んだ[2]。
世界の滅亡時代[編集]
いつか世界の滅亡の時が来る。その時は真っ赤な大きな太陽が出る。そして、天と地はふたたびくっついて石臼のようになって回転する。そうして、地上のあらゆる生きたものは滅亡してしまうが、一説によると、天地が回転するとき、善人だけが石臼の穴の間にのこっていて、ふたたび人類を繁殖させるだろう、とのことだ[3]。
中国[編集]
バロン・ダロン神話[編集]
昔、天を支えて大地に立つアペ・コペンという男がいた。男は雷と兄弟分で、雷が良く遊びに来ていた。雷は鶏肉が嫌いだったが、アペ・コペンはいたずらでこっそり鶏肉を食べさせた。怒った雷はアペ・コペンを切り裂くことにした。襲ってきた雷をアペ・コペンは捕まえたが、バロン(娘)とダロン(息子)が開放してしまう。
雷は逃げる時にアペに見つかりそうになり、枯木の幹の中に隠れる。そして何とか逃げおおせる。アペは丸木舟を作って洪水に備えた。
洪水が起きると父の乗った船は水に浮き、南天門(天国の入り口)に流れ着いた。そこに日月樹が生えていたので、アペは丸木舟を降り、この木を昇って天におしかけることにした。雷はひとまずアペを歓待することとして、もてなしている間に太陽を十二出し、日月樹を枯らしてしまうことにした。そうしたらアペはもう地上に戻れないので、その間にアペを殺す方法を考えるつもりなのだ。雷の真意に気がついたアペは雷に殴りかかった。雷が逃げたので、天上では雷とアペの追いかけっこが始まり、雷は天のあちこちで鳴るようになった。アペが暴れたので、地上には山や川や海ができた。
兄妹は雷を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なカボチャの中に避難して助かった。兄妹を残して人類は滅亡した。
妹は人類を増やすために結婚しようと兄を説得した。二つの竹を別々の所から投げて二つが一緒になったら結婚する、二つの臼を別々の山から転がして二つが一緒になったら結婚するという難題を、バロンは兄をだまして乗り越えた。兄は近親結婚を行ったら雷の怒りを買うのではないか、と恐れたが、天にいるアペが結婚を許した。雷はアペに追い回され、もう子供達に罰を与える力は残っていなかったのだ。アペは息子に「石臼のような子が生まれたら切り刻んで四方にまくように。」と言った。
結婚後、妻は石臼のような子を一つ産み落とした。石片をあちこちにまくと人間になった。落下した場所の名をとって彼らの名とした。最後の一切れは薬草になった。ミャオ人は兄妹をしのんで秋におまつりをし、子供のいない夫婦は先祖のバロンとダロンに子宝を願うようになった。[4]。
伏羲・女媧神話(ヤオ族神話)[編集]
一般的に考えられているあらすじ。
伏羲・女媧の父が雷公をとじこめていたが、兄妹であった子供たちがそれを解放してしまう。父は鉄船を作って洪水に備えた。洪水が起きると父の乗った船は水に浮き、天に届いた。父が天門を叩くと、天神はこれを恐れ、水神に水を引かせるよう命じた。水があっという間に引いたので、鉄船は天から転げ落ちた。父親は鉄船と共に粉々になって死んだ。兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かった。兄妹を残して人類は滅亡したが、二人は仲良く暮らしていた。
その頃は天門がいつも開いていたので、兄妹は天梯を昇ったり下りたりして天庭に遊びに行っていた。二人が大人になると兄は妹と結婚しようと考えた。二人は大木の周りを回って追いかけっこをし、兄が妹に追いついたら結婚することにした。妹は素早くて捕まえることができなかったが、兄は計略を使って妹を捕まえ結婚した。
結婚後、妻は肉の塊を一つ産み落とした。夫婦は奇妙に思い、肉の塊を切り刻んで天庭に持って行こうとした。途中で強風により紙の包みが敗れ、切り刻んだ肉片があちこちに飛び散り、大地に落下するといずれも人間になった。落下した場所の名をとって彼らの名とした。こうして人類はよみがえった[5]。
チャンヤン神話[編集]
種の家は天上にあった。東方にいたゲルー(Ghed lul、土地神)の天上の家で、フーファン(Fux Fang、大地)が生み育てたが、ニュウシャン(Niu Xang、婆神)が種の家を焼いてしまった。その時、「古代の書」も燃えてしまい、古い三つの儀礼などが分からなくなった。しかし、種が東から川を辿ってやってきた。
シャンリャン(Xang Liang、女神)が西方の土地で、犂や鍬を使って水牛のシィウニュウ(Hxub Niux)と田畑を耕した。農作業に使った道具は様々な生き物などに変化した。シィウニュウは大岩に変じた。シャンリャンは木々を植え、池のそばにも植えて魚を育てた。
木々の中から巨大な楓香樹が現れた。楓香樹の下には様々な動物が集まったが、彼らは魚を食べてしまった。シャンリャンは楓香樹が魚を食べてしまったと避難した。楓香樹は盗賊の棲家とされて伐られてしまった。伐採時に出た鋸屑、木屑、樹芯(蝶々)、芽(蛾)、瘤(木菟、ghob web sx、猫頭鷹)、葉(燕、鷹)、梢はさまざまなものに変化した[私注 1]。
楓香樹の樹芯には蝶のメイバンメイリュウがあった。蛾の王がつついて開けた。蝶々は生まれて三日目でバンシャン(Bang Xang女神)のとこへ行き、育てられた。彼女は水泡と恋愛して12個の卵を産んだ。ジーウィー鳥が三年半、卵を温めて孵した。はじめに人類の始祖であるチャンヤン(Janged Yangb姜央)は生まれた。その後、雷公、龍、虎、蛇、象が生まれた。彼らのへその尾もさまざまなものに変化した。悪い卵は1年かけて老いた雌豚を食べる魔物のグーワンとなった。別の残りの卵は供犠用の祭椀となった。
チャンヤンと雷公は兄弟だが相続で争い、雷公は自分が得た土地に納得しなかった。そこで天に上って雹と雨を降らせてチャンヤンを溺れさせようと考える。チャンヤンは水田を耕そうとするが、牡の水牛を持っていなかったため、雷公から水牛を借りた。耕作が終わるとチャンヤンは水牛を殺して祖先を祀り、祖霊祭で水牛を食べてしまった。雷公は怒り、洪水を起こす、と言ったのだが、三日の猶予をもらえたので、チャンヤンはその間にヒョウタンを育てた。雷公が洪水を起こし、チャンヤンはヒョウタンに乗って逃れた。生き残ったのはチャンヤンとその妹のニャンニ(Niang Ni)だけだった。チャンヤンは竹の助言を得て、妹のニャン二を説得して結婚した。二つの臼を別々の山から転がして二つが一緒になったら結婚するなどの難題を乗り越えたのだ。二人の間に肉塊が生まれたので、それを切り刻み九つの肥桶に入れて九つの山に撒いた。すると肉片から人間が大勢生まれた。しかし、彼らはまだ言葉が話せなかった。そこで土地公を天井に派遣して秘策を得た。松明を点して山を焼き竹を燃やすと弾けて音がする。それを真似て人々は言葉を話し始めた。人々は一緒に住み、七人の爺さんは牛殺しの刀(物)を、七人の婆さんは紡車を管理して暮らすことになった。[6]。
伏羲[編集]
伏羲は、八卦を河の中から現われた龍馬の背中にあった模様から発明したと易学では伝承されており、これを「河図」(かと)と呼ぶ。伏羲は,書契をつくって結縄の政治にかえた。はじめて婚姻の制度をたて,一対の皮をたがいに交換するならわしをさだめた。漁猟を民に教えた。かくて,民はみな帰服(伏)したので,宓(伏)犠氏という。また,牛,羊,豕などを家畜として養い、それを庖厨で料理して,犠牲として神祇や祖霊をまつった。それゆえに[[伏羲は、八卦を河の中から現われた龍馬の背中にあった模様から発明したと易学では伝承されており、これを「河図」(かと)と呼ぶ。伏羲は,書契をつくって結縄の政治にかえた。はじめて婚姻の制度をたて,一対の皮をたがいに交換するならわしをさだめた。漁猟を民に教えた。かくて,民はみな帰服(伏)したので,宓(伏)犠氏という。また,牛,羊,豕などを家畜として養い、それを庖厨で料理して,犠牲として神祇や祖霊をまつった。それゆえに庖犠ともいう。
私的考察[編集]
大洪水の神話は、本来「大洪水」ではなくて「火山の噴火」になぞらえた、黄帝と炎帝の争いの神話だったと考える。バロンが細かな石をばらまくのは、火山岩や火山礫がまき散るさまをあらわしていたのではないだろうか。ただし、下諏訪や奈良盆地の近くに目立つ火山はない。本来モデルになった火山は、雲南省の騰冲火山群ではないだろうか。
火山を爆発させる「火の神」が炎帝で、それを鎮める「水の神」が黄帝である。ただし、朝鮮の神話では女神が火山を鎮めている。「火の神」の母か妻の女神と思われる。
「臼」というアイテムが多くの話で登場するが、「石」とは「亡くなった人」の象徴でもある。「臼」というのは2つの石がぴったり合わさって機能するものなので、「仲睦まじい夫婦」の象徴でもあるし、先祖のことも指すと思われる。この場合は、先祖の黄帝とその妻のことと考える。下諏訪の「じいっj
伏羲の事績は、「祭祀・占いを確立した」点で、チャンヤンの事績と重なる点があるように思う。またチャンヤン神話の最後に出てくる牛殺しの刀とは漢字で「物」という字なので、これは物部氏の創設の神話のようにも管理人には感じられる。
結局、火山に関する神話が何故「大洪水」の話になってしまったかというと、「良き水神」であった「黄帝」を洪水を起こす「悪い水神=雷公」にしたくて、中身を変えてしまったのではないだろうか。
広瀬大社の祭祀について[編集]
ミャオ族の神話になぞらえれば、田人(白い衣装)がアペ・コペン(黄帝)、牛(黒い衣装)が雷神(炎帝)あるいはダロン(伏羲)、早乙女がバロン(女媧)ということになろう。神社の祭神からみれば、田人(白い衣装)は櫛玉命(くしたまのみこと)(饒速日命)、牛(黒い衣装)が穂雷命(ほのいかづちのみこと)、早乙女が若宇加能売命(わかうかのめのみこと)である。互いに砂をかけあうのは、雨というよりも、火山の噴火(暴れる雷神)と、それを鎮めようとする田人との戦いの再現と考える。田人と牛神の両方が争いながらも、拮抗を保って共に農耕に励むことが豊穣につながる、という思想かと思う。
壮族の文化にも牛を大切にする祭祀がある。炎黄並び立つことを理想とする、まるで河姆渡文化あたりを起源にしたような神話世界と考える。
田や家の厄払いのアイテムとなる「松苗」とは、「松の葉で作られ中に籾種が2・3粒入っており藁で巻かれている」とのことである。これは「楓香樹(松、黄帝)の中に入っているメイパンメイリュウ(籾種)女媧」のこと、すなわち、饒速日命という松の中にいる、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)という籾種のことと考える。この一致性からいけば、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)とは、饒速日命の娘神という位置づけで良いかと思う。女神の名に「若」と入っているところが、「非業の死を遂げた女神」であることをかすかに感じさせて悲しいが、この父娘の2神が「厄払いの神」であったことがしっかりと示されていて良いと思うし、個人的にはうれしいことと思う。
父親(黄帝型) | 父親(植物) | 娘(女媧型) | 娘(植物型) | 婿 | |
---|---|---|---|---|---|
ミャオ族神話 | アペ・コペン | 楓香樹・竹 | バロン・ニャンニ | メイパンメイリュウ | ダロン・チャンヤン |
広瀬大社 | 饒速日命(田人) | 松の葉 | 若宇加能売命(早乙女) | 籾種 | 穂雷命(牛) |
賀茂系 | 賀茂建角身命 | (烏) | 玉依姫命 | 火雷命 | |
岩見物部氏 | 八束水臣津野命 | 天豊足柄姫命 | 干ばつの蛇神 | ||
丹後海部氏 | 豊受大神(亀比売) | 水江浦嶼子・月読命 | |||
諏訪金刺氏 | 出早雄命 | 会津比売神 | 意岐萩神or武五百建命 |
表にして、なんとなくまとめてみました。長野県は神々の書き換えが非常に激しいので1例のみ挙げてみました。会津比売神は全国的に見ればローカルな女神ですが、長野市篠ノ井、川中島には彼女の名前にちなむ地名がいくつかあり、往古は重要な女神であったと思われる。人身御供で有名な悪名高い女神だったとみえ、夫とされる武五百建命と併せて群馬(上野)にはかなり非難めいた伝承があるように思う。
というか、「小萩(意岐萩神の別名)」というと、丹後海部氏では女神の名になっているのだが。元々は女神だったのだろうか。信濃金刺氏は神々の書き換えをどこまでやれば気が済んだのか、と感じる案件である。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
私的注釈[編集]
- ↑ 最初の楓香樹は、まるで盤古のようだと感じる。