御倉板舉神
御倉板舉神(みくらたなのかみ)。三重県津市の元伊勢伝承地の一つ、倭姫命が天照大御神を奉戴して「片樋宮」を建立した跡地に、「加良比乃神社」を創設した際「伊豆能賣神」と共に祭祀されたとされている。
概要
伊耶那岐神が、禊で三貴子を生んだ際、その御頸珠(首飾りの珠)の玉の緒を鳴るばかりにゆらし、天照大御神に高天原の統治を命じて、御頸珠を授けた。その御頸珠を御倉板挙之神という。
神名の「板挙」の字は、『日本書紀』垂仁紀に「天湯河板挙」という人名が見え、訓注で「板挙」をタナと読ませている。御倉板挙之神の名義は、神聖な倉の棚の上に安置する神の意とされる[1]。
私的考察
神の名の意味としては、「首飾りの珠」の霊ということであれば単に「玉」でも足りるように思う。
個人的には「板舉」を「いたあ」と呼んだ人々がいたのではないか、と考える。後で述べるように、伊多波刀(いたはと)神社という神社があり、そこに御倉板舉神と対になる伊豆能売が祀られているからだ。「いたあ」が「いたは」となり、「いたは の じんじゃ」という意味で伊多波刀神社となったのではないだろうか。「いたあ」とか、 「いたは」というのは「おたあさん」という言葉の通じ、「母」を意味すると考える。
またあるいは、「戸」が北斗の「斗」という意味であるのなら、「王権の象徴である首飾り」とは「北斗七星」のことでもあったのではないか、と考える。
山梨県富士川・釜無川流域には「宇波戸神社」という神社がいくつかある。こちらは現在では諏訪の建御名方富命を祭神とすることが多い神社のように感じるが、神社の名前の「うは」の意味は「母」とか「婆」ではないのだろうか。
「御倉」という言葉は「御暗」という意味で「夜の暗闇」のことを指し、「御倉板舉(戸)」で「夜空の母(である北斗七星)」という意味ではないだろうか。阿字神社では伊豆能売に相当する女神も「北斗七星」で表されているように思う。
御倉板舉神は伊耶那岐神が天照大御神に授けたとされているが、本来は母の伊邪那美命のものだったのではないだろうか、などと想像してみるのは楽しいものである。これは天照大御神が正式に伊邪那美命の跡継ぎになったことを示すアイテムだったかもしれない、と考える。
神社
伊多波刀神社
愛知県春日井市上田楽(かみたらが)町に鎮座する神社。
高皇産霊尊と誉田別尊、息長足姫命、玉依姫命の八幡三神を主祭神とし、大山祇命、市杵島姫命、伊豆能売命、品陀別尊(誉田別尊と同神)を合祀している。大山祇命、市杵島姫命、伊豆能売命を祀っていた田楽権現を八幡社に合祀したとされている。
社伝に景行天皇42年の創祀という。延喜の制で国幣の小社とされ、国内神名帳である『尾張国神名帳』に「従三位 板鳩天神」とある。古来付近に設定された味丘庄17箇村の総産土神として崇敬され、板に鳩を描いて奉納する習いがあったために社名としたともいう。
例祭は古く陰暦8月15日であったが、後に10月5日に変じ、現在は10月第2月曜日。
私的考察
伊豆能売は伊邪那岐命が黄泉から帰還した後に、「穢れ(災厄)を祓うために」生まれた女神である。災厄の全てが病気というわけではないのだが、「邪気を祓い、不老不死をもたらす」とは、中国神話では一体となって西王母と王母の蟠桃の役割なので、本wikiでは「医薬神」かつ「西王母型神」として取り扱う。
要は、伊豆能売は死んだ伊邪那美命から西王母的な「邪気を祓う」という性質を切り離して生きかえらせた女神といえる。実在の死んだ人間を生きかえらせることは不可能なので、神話ならではで存在し得る女神といえる。
また、「伊豆能売(イズノメ)」の「イズ」は「イズチ」に通じる言葉であり、本来は雷神(天候神)としての性質も有していた女神だと思われる。記紀神話では(そして日本では)、この女神のみではさほど重要な神とはなっていないが、伊邪那美命よりも西王母的な性質の強い女神である。
一旦死んだ女神が、やや性質を変えて生きかえったかのように活動するということで共通した性質を持つのは中国神話の「巫山神女」とも「瑤姫」とも呼ばれる女神である。瑤姫とは天候神であるところも似る。おそらく「伊邪那美命・伊豆能売」と「嫦娥(西王母)・瑤姫」はこの組み合わせのパターンも含めて同一起源と考える。伊豆能売は系譜的には天照大御神の姉であり、伊邪那美命と伊邪那岐命の娘といえる。瑤姫が西王母の娘、とされる点と共通するように思う。
参考文献
関連項目
私的注釈
- ↑ 管理人はこの説に疑問を感じるr。