「サンダス」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
1行目: | 1行目: | ||
− | [[File:TarsusCaracallaBronze.jpeg| thumb|420px| | + | [[File:TarsusCaracallaBronze.jpeg| thumb|420px|Bronze sesterce from Tarsus (Cilicia) with bust of Caracalla (211-217) on the obverse, and god Sandan on the reverse.]] |
'''サンダス'''(Sandas、'''Sandan'''と表記することも多い)は、古典期のアナトリア(ヒッタイト)の獅子神である。角のあるライオンと一緒に表され、鷲の冠をかぶった炎の中に置かれることが多かった。サンダンはギリシア神話のヘーラークレースや、時にはマルドゥークと結び付けられることが多い。儀式では、神像を薪の中に入れ、火を放った。 | '''サンダス'''(Sandas、'''Sandan'''と表記することも多い)は、古典期のアナトリア(ヒッタイト)の獅子神である。角のあるライオンと一緒に表され、鷲の冠をかぶった炎の中に置かれることが多かった。サンダンはギリシア神話のヘーラークレースや、時にはマルドゥークと結び付けられることが多い。儀式では、神像を薪の中に入れ、火を放った。 | ||
サンダンはセレウコス朝のコインに登場するほか、ローマ皇帝時代のタルソス(キリキア)のコインにも登場する。タルソスでは、サンドン(サンデス、サンダン、サンダと表記されることもある)は、剣、花、斧を持ち、角と翼のあるライオンの背中に立つミトレ(mitre)<ref>ミトレとは、カトリック教会、聖公会、正教会において、司教(カトリック)や主教(聖公会・正教会)が典礼(奉神礼)の執行時にかぶる冠をいう。(mitre、weblio英和辞典(最終閲覧日:22-12-02))</ref>をかぶった人間の姿で視覚的に表現されていた<ref>Donald A. MacKenzie, ''Myths of Babylonia and Assyria'' (1915), p. 348.</ref><ref>James George Frazer, ''Adonis Attis Osiris: Studies in the History of Oriental Religion'' (1906), p. 127.</ref>。主に戦争と天候に関連し<ref>Martin Hengel and Anna Maria Schwemer, ''Paul between Damascus and Antioch: The Missing Years'' (SCM Press, 1997), p. 167.</ref>、少なくとも紀元前2千年紀の初めからキリキア<ref>キリキア (Cilicia) は、トルコ南部にある、地中海に面した一地域の名前。シリアの北にある。地中海に面している。</ref>の神殿の主神であった<ref>Hetty Goldman, “[https://www.jstor.org/stable/594084 The Sandon Monument of Tarsus]”, ''Journal of the American Oriental Society'', Vol. 60, No. 4 (December 1940), p. 544.</ref>。古代ギリシャ・ローマ人は、サンドンをヘーラークレースと同一視していた<ref>Goldman, p. 544.</ref>。少なくとも紀元3世紀まで、タルソスにはサンドンの大きな記念碑が存在していた。 | サンダンはセレウコス朝のコインに登場するほか、ローマ皇帝時代のタルソス(キリキア)のコインにも登場する。タルソスでは、サンドン(サンデス、サンダン、サンダと表記されることもある)は、剣、花、斧を持ち、角と翼のあるライオンの背中に立つミトレ(mitre)<ref>ミトレとは、カトリック教会、聖公会、正教会において、司教(カトリック)や主教(聖公会・正教会)が典礼(奉神礼)の執行時にかぶる冠をいう。(mitre、weblio英和辞典(最終閲覧日:22-12-02))</ref>をかぶった人間の姿で視覚的に表現されていた<ref>Donald A. MacKenzie, ''Myths of Babylonia and Assyria'' (1915), p. 348.</ref><ref>James George Frazer, ''Adonis Attis Osiris: Studies in the History of Oriental Religion'' (1906), p. 127.</ref>。主に戦争と天候に関連し<ref>Martin Hengel and Anna Maria Schwemer, ''Paul between Damascus and Antioch: The Missing Years'' (SCM Press, 1997), p. 167.</ref>、少なくとも紀元前2千年紀の初めからキリキア<ref>キリキア (Cilicia) は、トルコ南部にある、地中海に面した一地域の名前。シリアの北にある。地中海に面している。</ref>の神殿の主神であった<ref>Hetty Goldman, “[https://www.jstor.org/stable/594084 The Sandon Monument of Tarsus]”, ''Journal of the American Oriental Society'', Vol. 60, No. 4 (December 1940), p. 544.</ref>。古代ギリシャ・ローマ人は、サンドンをヘーラークレースと同一視していた<ref>Goldman, p. 544.</ref>。少なくとも紀元3世紀まで、タルソスにはサンドンの大きな記念碑が存在していた。 | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
== 関連項目 == | == 関連項目 == |
2022年12月2日 (金) 12:59時点における版
サンダス(Sandas、Sandanと表記することも多い)は、古典期のアナトリア(ヒッタイト)の獅子神である。角のあるライオンと一緒に表され、鷲の冠をかぶった炎の中に置かれることが多かった。サンダンはギリシア神話のヘーラークレースや、時にはマルドゥークと結び付けられることが多い。儀式では、神像を薪の中に入れ、火を放った。
サンダンはセレウコス朝のコインに登場するほか、ローマ皇帝時代のタルソス(キリキア)のコインにも登場する。タルソスでは、サンドン(サンデス、サンダン、サンダと表記されることもある)は、剣、花、斧を持ち、角と翼のあるライオンの背中に立つミトレ(mitre)[1]をかぶった人間の姿で視覚的に表現されていた[2][3]。主に戦争と天候に関連し[4]、少なくとも紀元前2千年紀の初めからキリキア[5]の神殿の主神であった[6]。古代ギリシャ・ローマ人は、サンドンをヘーラークレースと同一視していた[7]。少なくとも紀元3世紀まで、タルソスにはサンドンの大きな記念碑が存在していた。
関連項目
- マリヤ:配偶神か。
参照
- ↑ ミトレとは、カトリック教会、聖公会、正教会において、司教(カトリック)や主教(聖公会・正教会)が典礼(奉神礼)の執行時にかぶる冠をいう。(mitre、weblio英和辞典(最終閲覧日:22-12-02))
- ↑ Donald A. MacKenzie, Myths of Babylonia and Assyria (1915), p. 348.
- ↑ James George Frazer, Adonis Attis Osiris: Studies in the History of Oriental Religion (1906), p. 127.
- ↑ Martin Hengel and Anna Maria Schwemer, Paul between Damascus and Antioch: The Missing Years (SCM Press, 1997), p. 167.
- ↑ キリキア (Cilicia) は、トルコ南部にある、地中海に面した一地域の名前。シリアの北にある。地中海に面している。
- ↑ Hetty Goldman, “The Sandon Monument of Tarsus”, Journal of the American Oriental Society, Vol. 60, No. 4 (December 1940), p. 544.
- ↑ Goldman, p. 544.