「顓頊」の版間の差分

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2022年9月22日 (木) 17:02時点における版

顓頊(せんぎょく、ピンイン:Zhuānxū)は、『史記』に記される帝王。高陽に都して高陽氏と称したと言われている。五帝の一人で、黄帝の後を継いで帝位に就いた。在位78年と言われている。

概要

父は昌意、母は蜀山氏の女の昌僕である。昌意は黄帝の子なので顓頊は黄帝の孫となる。子に窮蝉(舜の六世の祖)、五世の孫(『漢書』律暦志による。『史記』夏本紀では子)に鯀(の父)がいる。帝位を嚳に譲る。末裔に女脩、その孫に大費がおり、中国を統一した秦、戦国時代の趙はこの子孫と伝えられる。また『史記』楚世家では、春秋戦国時代の楚の祖先は顓頊であるとする。

『史記』 五帝本紀

帝顓頊高陽者、黄帝之孫而昌意之子也。靜淵以有謀、疏通而知事;養材以任地、載時以象天、依鬼神以制義、治氣以教化、絜誠以祭祀。北至於幽陵、南至於交阯、西至於流沙、東至於蟠木。動靜之物、大小之神、日月所照、莫不砥屬。

『史記』五帝本紀には、「依鬼神以制義、治氣以教化、絜誠以祭祀」とあり、鬼神を信奉しており、物忌みして祭祀を執り行った帝として記される。また、「靜淵以有謀、疏通而知事」とあり、物事に通じ、物静かで奥ゆかしい人柄であるとされている。

顓頊は、人々が神と関わる事を厭い、孫の重と黎に命じて天へ通ずる道を閉ざさせ、神と人との別を設けさせたという[1][私注 1]

顓頊と高句麗の関係

『三国史記』高句麗本紀第六や『三国史記』百済本紀第六によると、高句麗王は、中国黄帝の孫である高陽氏、中国黄帝の曾孫である高辛氏の子孫を称していた[2][3][4][5][6]

逸周書』「王会解」は、古代中国少数民族とその分布について述べたものであり、孔晁による注がつけられているが、「高夷」について「高夷東北夷高句麗」と注しており、高句麗を高夷族の子孫としている。このことから中国学界は、高句麗の先祖である高夷族と高陽氏を接続させ、高夷族の起源を高陽氏に確定、「卵生神話、鳥羽冠(鳥の羽で飾られた帽子 )の風習、テンプレート:仮リンク思想などが共通している」として、高句麗を高陽氏の子孫と主張する[7]。中国学界はもう一つの証拠として『晋書』「慕容雲載記」を挙げており、慕容雲祖父である高和は高句麗族であるが、高陽氏の末裔であるため高姓を名乗り、慕容雲の本来の名前は「高雲」という記事である。中国学界は、「高陽氏→高夷族→高句麗族」と連結させ、高句麗の祖先は高夷族であり、さらに遡ると高陽氏とみている[7]

関連項目

  • 共工 - 天下をめぐって対立をした

私的注釈

  1. これは祭祀の独占といえないだろうか。

参照

  1. 袁珂, 993-04-01, 中国の神話伝説〈上〉, 青土社, isbn:479175221X, page146
  2. 金光林, 2014, A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names|newspaper=Journal of cultural interaction in East Asia, 東アジア文化交渉学会, http://www.sciea.org/wp-content/uploads/2014/05/03_JIN.pdf, language:en, format:PDF, page30, https://web.archive.org/web/20160327222247/http://www.sciea.org/wp-content/uploads/2014/05/03_JIN.pdf, 2016-03-27
  3. http://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&itemId=sg&synonym=off&chinessChar=on&position=0&levelId=sg_028_0020_0430, 三國史記 卷第二十八 百濟本紀 第六, 国史編纂委員会, https://web.archive.org/web/20170906135037/http://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&itemId=sg&synonym=off&chinessChar=on&position=0&levelId=sg_028_0020_0430, 2017-09-06
  4. http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&setId=2&prevPage=0&prevLimit=&itemId=sg&types=&synonym=off&chinessChar=on&levelId=sg_018_0050_0170&position=1, 三國史記 卷第十八 髙句麗本紀 第六, 国史編纂委員会, https://web.archive.org/web/20170906134738/http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&setId=2&prevPage=0&prevLimit=&itemId=sg&types=&synonym=off&chinessChar=on&levelId=sg_018_0050_0170&position=1, 2017-09-06
  5. http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1642804&cid=49625&categoryId=49800&mobile#TABLE_OF_CONTENT18, 의자왕 義慈王, 韓国人文古典研究所, https://web.archive.org/web/20210829203730/https://terms.naver.com/entry.naver?docId=1642804&mobile=&cid=49615&categoryId=49800, 2021-08-29
  6. https://terms.naver.com/entry.naver?docId=1642754&mobile&cid=49615&categoryId=49799, 광개토왕 廣開土王, 韓国人文古典研究所, https://web.archive.org/web/20210829205717/https://terms.naver.com/entry.naver?docId=1642754&mobile=&cid=49615&categoryId=49799, 2021-08-29
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