「武五百建命」の版間の差分
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− | 「イソタケル」の「イソ」は「磯」の意のようにも取れる。'''磯'''(いそ)あるいは'''磯浜'''(いそはま)とは、'''岩石海岸'''のこと<ref name="sekaidaihyakka">『世界大百科事典』第二版「磯」</ref>。あるいは岩で構成された岩石(海食崖)海岸と、溶岩が火山から海岸線まで流れ出て出来た火山海岸の総称である<ref name="ishikawa">石川の自然 第20集 , https://www.ishikawa-c.ed.jp/rika/kiyou/kiyou20.pdf , 石川県教育センター , 2021年9月23日 , pages:1-2</ref> | + | 「イソタケル」の「イソ」は「磯」の意のようにも取れる。'''磯'''(いそ)あるいは'''磯浜'''(いそはま)とは、'''岩石海岸'''のこと<ref name="sekaidaihyakka">『世界大百科事典』第二版「磯」</ref>。あるいは岩で構成された岩石(海食崖)海岸と、溶岩が火山から海岸線まで流れ出て出来た火山海岸の総称である<ref name="ishikawa">石川の自然 第20集 , https://www.ishikawa-c.ed.jp/rika/kiyou/kiyou20.pdf , 石川県教育センター , 2021年9月23日 , pages:1-2</ref>。健磐龍命については、名前に「磐」がついているのだから、磐や石との関連が示唆される。ということは、武五百建命の「五百(いお)」も「いわ」や「いわお(巌)」を示す可能性がある。また、様々な木々が須佐之男の体から生えたものである、という神話があるのだから、須佐之男の本態は「岩や地面のようなもの」とみなすことが可能かもしれない。 |
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+ | 「タケ」や「タテ」に象徴される神々に「岩」としての声質も含まれている場合でも、更にそこに水神の性質も加えられている可能性がある。「岩」としての性質に水神の性質が加われば、そこから派生した名字には「岩井」や「石井」というものがあり得る。「タテ(木)」から派生した名字には、武五百建命の子孫の一家系である武井氏や武居氏がいる。 | ||
== 祀る神社 == | == 祀る神社 == |
2022年6月28日 (火) 21:51時点における版
武五百建命(たけいおたけのみこと、たけいおたつのみこと、生没年不詳)は古墳時代の豪族で初代科野国造。「国造本紀」では建五百建命と記される。
概要
『先代旧事本紀』「国造本紀」には神八井耳命の孫で崇神朝に科野国造に任じられたと伝わる。これに関連して、武五百建命は科野大宮社を創建したという伝承がある。
『阿蘇家略系譜』や「門山家系図」などには阿蘇国造の祖・健磐龍命(たけいわたつのみこと)と同人として扱われるが、両者は活動年代も活動地域も全く異なっており、実際には九州の称多氏族の諸国造が『記紀』編纂時までに多氏と同族化した際、名前の類似から同人化したものと見る説がある[1][2]。
系譜
武五百建命は神八井耳命(かんやいみみのみこと)の孫とされる[3]が、神八井耳命の子に彦八井耳命を加えて5世孫とする説も存在する[4]。
- 嫡妻:阿蘇比売命[5](阿蘇比咩命、あそひめのみこと)
- 阿蘇比売命については建御名方命の5世孫の会知早雄命(いずはやお(を)のみこと)の娘とされる[5]。また、阿蘇比売命を会知速比売の名で伝える系図もある[6]。嫡妻は伊豆早雄命の娘である会津比売神とする伝承もある。
- 子:建稲背命(健稲背命)
- 父を継いで二代目・科野国造となった。科野氏、他田氏、金刺氏[7]、また諏訪氏の祖。
- 孫:健甕富命
- 三代目・科野国造。
私的考察
五十猛神になぞらえれば、武五百建命(たけいおたけ)は「タケ(木)」+「五百」+「タケ(木)」となり、「500本の木の神」となり「タケ」が2つ重ねられているので、「木の神」であることを強調しているのではないか、と思う。あるいは「そ」音と「お」音に交通があると仮定すれば、五十猛神と武五百建命は同じ神であるといえる、とも思う。そうすると、「林業の神」、「木工芸の神」等とされて、「子孫に祀られていない」とされる五十猛神と、多くの現存の氏族の先祖とされる武五百建命は、「同じ神」でありながら性質によって名前を少し変えている神である、ともいえる。武五百建命と五十猛神が同じ神であるとするならば、武五百建命は須佐之男の子孫でもある、と暗に示しているともいえる。では、神八井耳命とは何なのか、ということになる。
その前に、阿蘇(熊本)の神健磐龍命(たけいわたつのみこと)との比較であるが、「同じ神」であるとすると、「イオ」と「イワ」という音には交通がある、ということになる、「タツ」、「タケ」、「タテ」も同様である。阿蘇(あそ)という言葉を「ア(接頭辞)」+「ソ」とすると、「ソ」は何なのか、ということになるであろう。武五百建命は須々木水神社に祀られている。「須々木」とは古語で「進木(すすき、あるいはすすぎ)」と言われた「杉」のことと思われる。「スギ」という言葉が「ス(ス)」+「キ」に分けられるのであれば、「阿蘇」の「蘇(ソ)」は「ス」と交通がある音で「杉」のことと指すとは受け取れないだろうか。「スギ」という言葉の内「ギ(キ)」が略されている。「阿蘇」という言葉は、いわば「御(お)杉」という意味ではないだろうか。熊本県は少なくとも中世にまで遡って植林が行われ、林業のための木が植えられたことが分かっている。五十猛神は自然木の神というよりは林業のための植林の神といえ、五十猛神、武五百建命、健磐龍命(別名阿蘇神)がいずれも名前が同じ神であるとすれば、これらはまた「植林の神」、主として「杉の神」として性質も共通している可能性が高く、名前の点からも性質の点からも「同じ神」と結論づけて良いのではないだろうか。とすれば、五十猛神の子孫が信濃国造でもあり、阿蘇国造でもある、といえる。
また神名における「す」や「そ」が「杉」を示すものであるならば、「須佐之男(すさのお)」とは、「杉の男」という意味である、と言えないだろうか。木の神であり、男神である。「杉の木」が「伊弉諾の三貴子」として太陽(天照大神)、月(月夜見)と並び立つ神である、ということから古代の日本人がいかに杉の木を重要視していたのかが分かる。ただ、「杉の木」は木工芸の神とも近しい関係にあり、ただ生えているだけでは人間にとって意味がない、といえる。切り倒して加工し、柱や材木、木工芸品に加工してこそ、意味をなしてくるものである。すなわち、杉の木は「切り倒して死んだもの」でないと意味がない。人の役に立つように加工されてこそ、その価値は生きてくる。また、優れた木工芸の技術を縄文系の人々が最初から有していた、とは考えにくいため、須佐之男は弥生の人々の神、といえるであろう。そして、「死んでこそ」意味のある神でもある。須佐之男は死んで役に立つ物(柱、木工芸品など)に生まれ変わることもあるが、必要のない細かな枝葉はゴミであって「死んだままのもの」、すなわち「黄泉の国の物」といえる。そのため、神話的には、須佐之男は「再生の神」でもあり「死霊」でもある、ということになるのではあるまいか。そして、そのような性質は、同じ系統の神である五十猛神、武五百建命、健磐龍命(別名阿蘇神)にも共通している、といえるのではないか。
「岩」の神としての性質と名字
「イソタケル」の「イソ」は「磯」の意のようにも取れる。磯(いそ)あるいは磯浜(いそはま)とは、岩石海岸のこと[8]。あるいは岩で構成された岩石(海食崖)海岸と、溶岩が火山から海岸線まで流れ出て出来た火山海岸の総称である[9]。健磐龍命については、名前に「磐」がついているのだから、磐や石との関連が示唆される。ということは、武五百建命の「五百(いお)」も「いわ」や「いわお(巌)」を示す可能性がある。また、様々な木々が須佐之男の体から生えたものである、という神話があるのだから、須佐之男の本態は「岩や地面のようなもの」とみなすことが可能かもしれない。
「タケ」や「タテ」に象徴される神々に「岩」としての声質も含まれている場合でも、更にそこに水神の性質も加えられている可能性がある。「岩」としての性質に水神の性質が加われば、そこから派生した名字には「岩井」や「石井」というものがあり得る。「タテ(木)」から派生した名字には、武五百建命の子孫の一家系である武井氏や武居氏がいる。
祀る神社
- 二子神社(長野県上田市上田)
- 須々岐水神社 境内 祝神社(長野県千曲市屋代)
- 唐崎神社(長野県千曲市)
関連項目
参考文献
- Wikipedia:磯(最終閲覧日:22-06-28)
参照
- ↑ 「多氏族概観」『古樹紀之房間』、2006年。
- ↑ 宝賀寿男「村崎真智子氏論考「異本阿蘇氏系図試論」等を読む-併せて阿蘇氏系図を論ず-」『古樹紀之房間』、2006年。(リンク切れ:22-06-27確認)
- ↑ 『先代旧事本紀』「国造本紀」科野国造条。
- ↑ 『阿蘇郡誌』熊本県教育会阿蘇郡支会、大正15年。
- ↑ 5.0 5.1 『諏訪史料叢書. 巻28』。
- ↑ 太田亮「科野」『姓氏家系大辞典. 第3巻』1944年、2777頁。
- ↑ 『阿蘇家略系譜』。
- ↑ 『世界大百科事典』第二版「磯」
- ↑ 石川の自然 第20集 , https://www.ishikawa-c.ed.jp/rika/kiyou/kiyou20.pdf , 石川県教育センター , 2021年9月23日 , pages:1-2