(そこで、物部連の先祖伊香色雄を'''神班物者'''(かみのものあかつひと)にしようと占うと吉(よ)しと出て、またついでに他神を祭ろうと占うに、吉(よ)からずと出た。)訳:宇治谷孟<ref>『日本書紀』崇神天皇7年8月7日条</ref></blockquote>
その後、天皇は伊香色雄に命じて、物部のように沢山ある平瓮(ひらか)を祭神之物(かみまつりもの=神祭の供物)とされ、大田田根子を大物主大神の祭主にし、市磯長尾市を倭大国魂神の祭主にした、という。これにより、疫病は収まり、国内も鎮まり、五穀が実って、百姓は賑わったその後、天皇は伊香色雄に命じて、物部のように沢山ある平瓮(ひらか)を祭神之物(かみまつりもの=神祭の供物)とされ、[[大田田根子]]を大物主大神の祭主にし、市磯長尾市を倭大国魂神の祭主にした、という。これにより、疫病は収まり、国内も鎮まり、五穀が実って、百姓は賑わった<ref>『日本書紀』崇神天皇7年11月13日条</ref>。
伊香色雄が登場するのはこの場面だけであるが、このことから、崇神天皇が大和国三輪山の神を祭ることで、大和政権の基礎を固め、周辺の諸国の統一にとりかかったという祭政一致の政策を行ってきたことが分かってくる<ref>中央公論社『日本の歴史1』p281 - 282</ref>。