「山𤢖」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
9行目: 9行目:
 
『荊楚歳時記』とは中国南北朝時代の梁朝(6世紀)の宗懍(そうりん)によって著された荊楚地方の年中行事記である。'''山𤢖'''とは正月に現れる悪鬼のこととされる。
 
『荊楚歳時記』とは中国南北朝時代の梁朝(6世紀)の宗懍(そうりん)によって著された荊楚地方の年中行事記である。'''山𤢖'''とは正月に現れる悪鬼のこととされる。
  
<blockquote>正月(三)爆竹<br>「まず、庭前で爆竹を鳴らし山臊(サンソウ)の悪鬼を避(サ)ける。」<br>解説には<br>「西方の深山の中に居る人は、身の丈尺余(一尺余り)、足は一本しかなく、片肌脱ぎの姿で、人を畏(オソ)れない。人が止宿しているのを見ると、暮にその火によって来て蝦蟹(カカイ)を炙(アブ)る。人の居ないときを伺っては塩を盗み、蝦蟹に付けて食らう。之を犯さば人をして寒熱させる。これを名付けて山臊(サンソウ)という。かって人々は竹を火中に入れると爆竹の大きな音が出た。山臊(サンソウ)は皆な驚き畏れた。山臊(サンソウ)は人の形をしているけれど変化する、という事は鬼魅(キミ)の類である。今、山中には皆な山臊(サンソウ)がいる。」、とのこと<ref>[https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10100990065 年獣について](最終閲覧日:12-12-15)</ref>。<blockquote>
+
<blockquote>正月(三)爆竹<br>「まず、庭前で爆竹を鳴らし山臊(サンソウ)の悪鬼を避(サ)ける。」<br>解説には<br>「西方の深山の中に居る人は、身の丈尺余(一尺余り)、足は一本しかなく、片肌脱ぎの姿で、人を畏(オソ)れない。人が止宿しているのを見ると、暮にその火によって来て蝦蟹(カカイ)を炙(アブ)る。人の居ないときを伺っては塩を盗み、蝦蟹に付けて食らう。之を犯さば人をして寒熱させる。これを名付けて山臊(サンソウ)という。かって人々は竹を火中に入れると爆竹の大きな音が出た。山臊(サンソウ)は皆な驚き畏れた。山臊(サンソウ)は人の形をしているけれど変化する、という事は鬼魅(キミ)の類である。今、山中には皆な山臊(サンソウ)がいる。」、とのこと<ref>[https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10100990065 年獣について](最終閲覧日:12-12-15)</ref>。</blockquote>
  
 
== 日本の山𤢖(やまわろ) ==
 
== 日本の山𤢖(やまわろ) ==

2024年12月17日 (火) 15:07時点における版

山𤢖(やまわろ、やまおとこ)は日本の長野県に伝わる大男(山男の類)の妖怪である[1]。「𤢖」(そう)の字が常用漢字に存在しないため同音の「山操」と表記されることもある。

中国の山𤢖(さんそう)

山𤢖(さんそう)とは本来中国に伝わる伝説上の生物あるいは妖怪。山蕭山臊[2]とも書かれる。中国の古書『神異経』には、西方の深い山の中に住んでおり、身長は約1丈余り、エビやカニを捕らえて焼いて食べ、爆竹などの大きな音を嫌うとある。また、これを害した者は病気にかかるという。食習慣や、殺めた人間が病気になるといった特徴は、同じく中国の山精(さんせい)にも見られる[3]

日本では江戸時代の百科事典『和漢三才図会』(1713年) などにおいてこの山𤢖(さんそう)に対して「やまわろ」の訓が当てられている。「やまわろ」という日本語は「山の子供」という意味で「山童」(やまわろ)と同じ意味であり、同一の存在であると見られていた[3]

荊楚歳時記

『荊楚歳時記』とは中国南北朝時代の梁朝(6世紀)の宗懍(そうりん)によって著された荊楚地方の年中行事記である。山𤢖とは正月に現れる悪鬼のこととされる。

正月(三)爆竹
「まず、庭前で爆竹を鳴らし山臊(サンソウ)の悪鬼を避(サ)ける。」
解説には
「西方の深山の中に居る人は、身の丈尺余(一尺余り)、足は一本しかなく、片肌脱ぎの姿で、人を畏(オソ)れない。人が止宿しているのを見ると、暮にその火によって来て蝦蟹(カカイ)を炙(アブ)る。人の居ないときを伺っては塩を盗み、蝦蟹に付けて食らう。之を犯さば人をして寒熱させる。これを名付けて山臊(サンソウ)という。かって人々は竹を火中に入れると爆竹の大きな音が出た。山臊(サンソウ)は皆な驚き畏れた。山臊(サンソウ)は人の形をしているけれど変化する、という事は鬼魅(キミ)の類である。今、山中には皆な山臊(サンソウ)がいる。」、とのこと[4]

日本の山𤢖(やまわろ)

山𤢖(やまわろ)は、木曽(長野県南西部)の深い山の中に住んでいる大男で、「やまおとこ」とも呼ばれる[1]

江戸時代の文政年間(1818年–1830年)初頭、木曽の山の中で1メートルほどの大きさもある藤のつるで編んだ草鞋(わらじ)が見つかり、山𤢖のものに違いないといわれたが、山𤢖を見たという木こりもおらず、結局どこに住んでいるのか、存在していたのは分からなかったという[1]。また、江戸時代後期の随筆『想山著聞奇集』に記されている「山𤢖(やまおとこ)の事」によれば、同じく木曽で、ある木こりが早朝に山に入り、物を割るような音が響いたので振り返ると、真っ黒い大きな体で薄赤い顔に茶碗ほどの大きさの目が白く光るものが立っていた。木こりは山小屋へ逃げ込んだが、そのまま3日間寝込んでしまったという[5]

また、一般的に山𤢖(さんそう)と同一のものであると考えられて来た歴史があることから、日本にいるとされる山𤢖(やまわろ)もカニなどを食べると解説されることもある[1]

関連項目

外部リンク

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 水木しげる, 図説 日本妖怪大全, 1994, 講談社, 講談社+α文庫, isbn:978-4-06-256049-8, p471
  2. どちらも『諾皋記』などでの表記。
  3. 3.0 3.1 =寺島良安, 島田勇雄・竹島純夫・樋口元巳訳注, 1712, 1987, 和漢三才図会, 平凡社, volume6, 東洋文庫, isbn:978-4-582-80466-9, p152-154
  4. 年獣について(最終閲覧日:12-12-15)
  5. 三好想山, 谷川健一他, 日本庶民生活史料集成, 1851, 1970, 三一書房, 第16巻, isbn:978-4-380-70504-5, p36-37, =想山著聞奇集